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柳井満(1935~2016)

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柳井 満(やない みつる)

テレビプロデューサー
1935年(昭和10年)〜2016年(平成28年)

1935年(昭和10年)、東京都に生まれる。東京都立大学附属高等学校、東京大学文学部を卒業後、1958年(昭和33年)にラジオ東京(現在のTBSホールディングス)に入社。当時は報道部への配属を希望していたが、ドラマ制作部に配属された。入社当時はドラマの全盛期で、大山勝美をはじめとする大物演出家が存在。人と違うことをやらないと認めてもらえないと考えた柳井は、新人のシンガーソングライターを起用し、主題歌も歌わせることでドラマをヒットさせるという図式を生み出した。1979年(昭和54年)、テレビドラマ『愛と喝采と』を制作。無名の新人シンガーソングライターだった岸田智史(後の岸田敏志)を、売り出し中の新人歌手という役柄で起用した。本作と連動して岸田をセールスするキャンペーンも行われ、挿入歌で劇中歌となった『きみの朝』のレコードをドラマ放送の1か月前に発売するなど、現実とドラマをシンクロさせることを狙った意図的な戦略が功を奏し、『きみの朝』は現実世界でもTBSの番組『ザ・ベストテン』の上位にランクインするなどヒット曲となった。同年、石原裕次郎主演の『太陽にほえろ!』を越すことを目標とした新番組のプロデューサーに抜擢。かつて『おゆき』でタッグを組んだ小山内美江子に脚本を依頼し、中学校が舞台のドラマ『3年B組金八先生』を企画。音楽業界出身、二枚目じゃない、勉強ができそうにない、中学生から見てアニキと思えるくらいの年齢の4つを条件に、面識があった武田鉄矢を主役に抜擢した。また、リアルな中学生を求め、オーディションを開催。無名で芝居も発展途上な子を選んだ後、ジャニー喜多川からの強い勧めに推され、デビュー前の新人アイドル10数人の中から、田原俊彦、野村義男、近藤真彦の3人を選び、『3年B組金八先生』はスタート。強力な裏番組をはねのけ、最高視聴率39.9%という大ヒット。俳優としての武田鉄矢の地位を揺るぎないものにし、海援隊の歌う主題歌『贈る言葉』も100万枚超えのヒットを記録した。また、同作のヒットでジャニーズ事務所から選ばれた3人の人気も爆発。ジャニーから「たのきんトリオ」と名づけられ、それぞれ大ヒット曲を連発し、当時人気が低迷していたジャニーズ事務所復活の起爆剤となった。以降、同作は32年間にわたって断続的に制作され、学園ドラマの金字塔と称される作品になった。1983年(昭和58年)、『家族ゲーム』を制作。同作のキャスティングを迫られていた時期に、電車の中で隣人が読んでいた新聞に長渕剛と石野真子の離婚記事が載っており、その記事の写真が、離婚するにしてはやけに明るく嬉しそうだったことが印象的だったことから、長渕に主演をオファー。長渕の俳優としての才能を開花させ、その後も『家族ゲームII』『親子ゲーム』『親子ジグザグ』『とんぼ』と立て続けに長渕主演のドラマを制作し、長渕が歌う主題歌もヒットさせていった。1995年(平成7年)、TBSを定年退職。ドラマプロデューサーとしてTBSと専属契約を結び、金八シリーズを中心とした武田鉄矢の主演ドラマにほぼ限定して活動していた。2005年(平成17年)、第46回毎日芸術賞特別賞を受賞。2016年(平成18年)2月1日、自宅で倒れ、神奈川県川崎市宮前区の聖マリアンナ医大病院に救急搬送されたが、胸部動脈瘤破裂のため死去。享年80。


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「ドラマのTBS」と呼ばれた黄金時代を支えた名プロデューサーの一人、柳井満。シンガーソングライターをドラマの主演に起用し、主題歌も歌わせることでドラマをヒットさせるという図式を確立させ、『3年B組金八先生』シリーズをはじめ、長渕剛の主演ドラマをヒットさせた。殊に武田鉄矢との愛称は良く、TBSを定年退職後は武田鉄矢のドラマを制作するためだけに、ドラマプロデューサーとしてTBSと契約し、『3年B組金八先生』だけでなく『夫婦道』という名作を世に送り出した。柳井満の墓は、神奈川県川崎市の春秋苑にある。墓には「寂」の一文字があり、左側に墓誌がある。ただし、この墓は「岡原家」となっており、右側面にはその一族の墓誌が刻まれている。さらに、カントリー歌手のジミー時田も同墓に納骨されており、この3者がどういうつながりなのかは不明である。

by oku-taka | 2021-01-23 21:22 | テレビ・ラジオ関係者 | Comments(0)