人気ブログランキング | 話題のタグを見る

明本京静(1905~1972)

明本京静(1905~1972)_f0368298_20451401.jpg

明本 京静(あけもと きょうせい)

作曲家
1905年(明治38年)〜1972年(昭和47年)

1905年(明治38年)、青森県黒石市に生まれる。本名は、明本 教成。旧制弘前中学(現在の青森県立弘前高等学校)を卒業後、東京大学工学部に進学するが中退。 近衛秀麿に師事し、新交響楽団(後のNHK交響楽団)でベートーヴェンの「第九」のテナー独唱者となる。その後、鳴かず飛ばずの時代がしばらく続いたが、1939年(昭和14年)に朝日新聞社が募集した「皇軍感謝の歌」の当選作『父よあなたは強かった』の作曲を日本コロムビアに依頼される。同曲は専属作曲家12人の競作となったが、最も無名に近かった明本の曲が採用される。この結果はマスコミにも大々的に報じられて、明本は一躍有名になり、その後も『皇国の母』、『あゝ紅の血は燃ゆる』など、数多くの戦時歌謡の作品を残した。戦後は警察大学やアメリカ大学クラブの講師を務めた一方、「明るい歌で明るい社会を」運動を展開。1946年(昭和21年)に軍国調の色彩が強かった国民歌謡に代わるラジオ歌謡の第1作『花の曙』と、第2作『風はそよかぜ』の作曲を担当した。1953年(昭和28年)、第3回参議院議員通常選挙の全国区に無所属で立候補したが、落選。 1956年(昭和31年)、銀座4丁目の「チクサン会館」内に、指導音楽学校を開校。歌声サークルや合唱団などのリーダーを養成した。また、1961年(昭和36年)から毎月20日の夕方、誰でも気軽に参加でき、舞台と客席が一体になって唄い、歌唱指導などもある「みんなでうたう音楽会」を日比谷公会堂で開催。NHKのローカル番組に取り上げられたこともあり、毎月多くの老若男女が参加した。1966年(昭和41年)、藍綬褒章を受章。1972年(昭和47年)10月17日、死去。享年68。没後、勲四等旭日小綬章を追贈された。


明本京静(1905~1972)_f0368298_20451346.jpg

明本京静(1905~1972)_f0368298_20451421.jpg

多くの戦時歌謡を世に送り出した明本京静。『父よあなたは強かった』にはじまり、『皇国の母』や『あゝ紅の血は燃ゆる』など、勇壮ながらどこかに哀愁さが漂うメロディーを得意とした。流行歌の方はあまりヒットを残せておらず、三橋美智也の『武田節』が唯一のヒットといえるだろうか。戦後は主に社歌や校歌を作る一方、誰でも気軽に歌を楽しむことができるよう「うたごえ運動」を色々な形で展開した明本京静。彼の墓は、神奈川県川崎市の春秋苑にある。洋形の墓には「明本家」とあり、右側に略歴が刻まれた墓誌が建つ。戒名は「聖樂院釋京靜」。

by oku-taka | 2021-01-23 20:47 | 音楽家 | Comments(0)