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清家清(1918~2005)

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清家 清(せいけ きよし)

建築家
1918年(大正7年)~2005年(平成17年)

1918年(大正7年)、京都府京都市に生まれる。少年時代を神戸市で過ごし、旧制神戸二中(現在の兵庫県立兵庫高等学校)を経て、1941年(昭和16年)に東京美術学校(現在の東京芸術大学)を卒業。東京工業大学に進学し、在学中は建築家の谷口吉郎に学んだ。1943年(昭和18年)、東京工業大学を卒業。太平洋戦争に従軍し、海軍技術見習尉官・中尉・大尉、海軍兵学校の教官を務める。その後、海軍の技術将校として飛行機の格納庫の設計に携わった。1945年(昭和20年)には正七位に叙されるが、まもなく復員。1946年(昭和21年)に東京工業大学の助手、1948年(昭和23年)には助教授となる。1951年(昭和26年)、「森博士の家」を発表。同じ1950年代に発表された、池辺陽の「立体最小限住宅」、増沢洵の「最小限住宅」、広瀬鎌二の「SHシリーズ」、と共に機能主義による都市住宅のプロトタイプを提案し、住宅をはじめとする明瞭で軽快な作品で日本の伝統的モダン美を独自の解釈ではじめて形にした。一方、開放的なワンルームに、畳・障子などを持ち込んだ同作は、近代住宅と伝統をどう考えるかという伝統論争のきっかけともなった。1952年(昭和27年)、木造平屋の「斎藤助教授の家」を発表。室内の襖や障子を開け放つと内部と屋外がひとつながりになる開放的なワンルーム空間を実現。清家はワンルーム空間を生活の場として機能させるために、障子、襖、畳、縁側など日本の住宅の伝統的要素を取り入れた。こうした伝統要素は、第二次世界大戦後まもない当時において住宅から排除される傾向にあったが、清家は日本の伝統を近代建築の美学と融合させることで、当時の建築界に新鮮な衝撃を与えた。続いて木造以外の構造形式によるワンルーム住宅が試みられ、コンクリートブロック造(一部鉄骨造)の「宮城教授の家」(1953年)、鉄筋コンクリート造の「数学者の家」(1954年)、鉄筋コンクリート造(一部鉄骨造)の「私の家」(1954年)では、それぞれの構造、材料の特徴を生かしたワンルーム空間を実現。特に「私の家」は、床一面石張りで、当時としては珍しい土足の生活が営まれた。清家は住宅を通して新しい生活像を提示し続け、その名は建築界の外にも知られるようになる。1954年(昭和29年)、初期の一連の住宅に対して日本建築学会賞、1955年(昭和30年)には芸術選奨文部大臣賞を受賞した。1960年代に入ると、住宅だけでなく大規模な建物も手がけることが多くなり、九州工業大学記念講堂(1960年、北九州市)、小原流関連の一連の施設(1962年~1970年、神戸市)、伊豆三津シーパラダイス(1977年、静岡県)、軽井沢プリンスホテル(1982年、長野県)などがある。1962年(昭和37年)、東京工業大学より工学博士の学位を授受し、教授に昇進。東京工業大学の清家研究室からは、林昌二、林雅子、番匠谷尭二、篠原一男、八木幸二ら優れた建築家を輩出した。1969年(昭和44年)、昭和時代においてはすでに迷信とされていた「家相」を、建築家としての観点から再評価した著書『家相の科学』がベストセラーとなる。1976年(昭和51年)、ネスカフェのCMに起用され、キャッチコピーである「違いがわかる男」としてお茶の間に広く知られるようになる。1978年(昭和53年)、東京芸術大学の教授に就任。1979年(昭和54年)、東京工業大学を停年退官。1981年(昭和56年)、日本建築学会の会長に就任。1983年(昭和58年)、紫綬褒章を受章。1989年(平成元年)、東京建築士会の会長に就任。同年、勲二等瑞宝章を受章。1991年(平成3年)、建築の文化向上と国際交流に関する多大な功績で日本建築学会大賞を受賞。同年、建築を手がけた札幌市立高等専門学校の校長を1997年(平成9年)まで務めた。退任後は、設計組織である株式会社デザインシステム(東京都大田区)代表取締役を務めた。株式会社デザインシステム(東京都大田区)代表取締役を務めた。2005年(平成17年)4月8日午前10時、肺炎のため東京都大田区の病院で死去。享年86。没後、従三位を追贈された。


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戦後の住宅建築の基礎を築いた建築家・清家清。「住まいの原点はワンルーム」の持論を基に、障子・襖・畳・縁側といった日本の伝統美を西洋近代建築に融合させ、従来の住宅建築に一石を投じた。人間中心の快適な住まい作りを提唱し続けた清家清の墓は、神奈川県鎌倉市の鎌倉霊園にある。墓には五輪塔と三角型の墓碑が二基あり、墓誌が刻む。
by oku-taka | 2020-11-16 21:30 | 衣・食・住 関係者 | Comments(0)