人気ブログランキング | 話題のタグを見る

尾崎紀世彦(1943~2012)

尾崎紀世彦(1943~2012)_f0368298_12364664.jpg

尾崎 紀世彦(おざき きよひこ)

歌手
1943年(昭和18年)~2012年(平成24年)

1943年(昭和18年)、東京都渋谷区に生まれる。6歳の時に神奈川県茅ヶ崎市へ移住。幼少の頃からラジオのFENでジャズやカントリー等に親しんでいた。茅ヶ崎市立第一中学校卒業後、YMCA国際ホテル学校へ進学。13歳の時に父にウクレレを買って貰い、中学の同級生6人でハワイアンバンドを結成。箱根ホテル小涌園のバンド募集のオーディションに合格し、17歳でセミプロデビューする。1964年(昭和39年)、念願の日劇出演を果たすが、目標達成とメンバーの学業と家業の忙しさから解散に至る。1963年(昭和38年)、芸能プロダクション。東京ハワイアンズと契約。ジミー時田と同じ所属先という縁で、ジミー時田&マウンテン・プレイボーイズに加入。セカンドボーカルとギターで参加する。1967年(昭和42年)1月、コーラスグループ「ザ・ワンダース」を結成。ジャズ喫茶や米軍キャンプでの演奏を中心に音楽活動をスタートさせ、やがてTBSやNHKのポップス番組にも出演。8月、日音のプロデューサー・村上司にスカウトされ、シングル『明日への道』とアルバム『ニューカマー・ザ・ワンダース』の同時リリースでデビュー。その直後、『ウルトラセブン』の音楽制作担当プロデューサーの木山貢吉(日音)が、主題歌と挿入歌にザ・ワンダースをキャスティング。しかし、この曲は日音が原盤製作し、各レコード会社へ音源貸出方式を採っていたため、テイチクレコードとの契約上「ザ・ワンダース」という名称を使用できなかった。そこでプロデューサーの村上と木山が「ジ・エコーズ」と名付け、発売に至った。以後、ザ・ワンダースとしてライブ活動し、テレビ主題歌等をジ・エコーズ名義で歌っていたが、1969年(昭和44年)秋に思うような結果が出ないことからグループは解散。村上司プロデューサーの熱心な働き掛けがあり、1970年(昭和45年)8月に『別れの夜明け』でソロデビュー。ダイナミックな歌唱は業界内で話題となるが、同年9月、タクシー乗車中に六重衝突という交通事故に巻き込まれ、4ヶ月に及ぶ入院生活でレコードの宣伝活動ができず売れなかった。1971年(昭和46年)、2枚目のシングル『また逢う日まで』が売り上げ100万枚を突破するほどの大ヒット。第13回日本レコード大賞大賞と第2回日本歌謡大賞大賞をダブル受賞する。同年、第22回NHK紅白歌合戦に白組トップバッターとして初出場する。以降、『さよならをもう一度』『愛する人はひとり』と出す曲が次々とヒット。1972年(昭和47年)には『ゴッドファーザー〜愛のテーマ』のカヴァーで紅白歌合戦に連続出場した。こうした歌謡番組を始めとして、『ミュージックフェア』『サウンド・イン"S"』などのポップス番組にも出演。その後も、『青春のポップス』『ときめき夢サウンド』『魅惑のスタンダードポップス』ほか多くの番組で、レパートリーである数々の映画音楽、ジャズを披露した。1987年(昭和62年)、『サマー・ラブ』がスマッシュヒット。1990年代より、旧知の演奏家たちとジャズ・ハワイアン・カントリーライブのジョイント・コンサートを定期的に公演する。1994年(平成6年)、音楽バラエティ番組『THE夜もヒッパレ』に出演。トレードマークの濃いもみあげと、声量のたっぷりとした高い歌唱力を持ち味にあらゆる曲をカヴァーし、若年層にも広く知られる存在となる。2007年(平成19年)、新たな試みとして、オーケストラとのポップスコンサートを恒例化させる。2010年(平成22年)2月からはプレミアムコンサートが開催されたが、夏に背中の痛みなどを訴えて大学病院に検査入院。その結果、肝臓癌であることがマネージャーに伝えられたが、尾崎はそのことを他言無用とした。9月には極秘の手術が行われたが、癌の進行は予想より早く、完全な排除には至らなかった。尾崎は抗癌剤の投与を拒否。退院から10日には傷口が塞がっていない状態でステージに立ったが、2011年(平成23年)2月に体調を崩し都内の病院に入院。このとき、余命1年もないことが宣告された。そのため、5月公演予定のコンサートが中止になったほか、所属事務所との契約も終了。6月にはハワイへ渡り、息子の家で1ヶ月間家族との日々を過ごした。この頃、マネージャーが尾崎と連絡がとれないと発言したことや、自宅が廃墟と化していることから、『週刊女性』が失踪と報道。スポーツ紙各紙もこれを紹介する形で「尾崎紀世彦失踪か」と報じ、ワイドショーも一斉に取り上げたことから、親族より「1年以上前から入院している」ことが明かされた。2012年(平成24年)5月30日午前0時5分、肝臓癌のため東京都内の病院で死去。享年69。没後、日本作曲家協会より第54回日本レコード大賞特別功労賞が贈られた。


尾崎紀世彦(1943~2012)_f0368298_12364674.jpg

尾崎紀世彦(1943~2012)_f0368298_12364729.jpg

圧倒的な歌唱力とトレードマークのもみあげで親しまれた尾崎紀世彦。「和製トム・ジョーンズ」と呼ばれたほどのスケールの大きい歌声は多くの人を魅了し、特に『THE夜もヒッパレ』に出演した際に披露したMr.childrenの『innocent world』のカヴァーはオリジナルに勝るとも劣らないと高く評価され、尾崎のプチ再ブレイクのキッカケとなった。一方、彼の歌い方の特徴に「崩して歌う」というのがあり、譜面通り歌ってくれたことは後年ほとんどなかったように思う。「何度も同じ歌を歌っていたら飽きちゃった」と語っていたが、やはりオリジナルが耳に焼き付いているため、変にアレンジされてしまうのは非常に残念であった。尾崎紀世彦の墓は、神奈川県藤沢市の大庭台墓園にある。洋形の墓には「尾崎家」とあり、背面に墓誌が刻む。

by oku-taka | 2020-08-16 13:46 | 音楽家 | Comments(0)