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川崎敬三(1933~2015)

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川崎 敬三(かわさき けいぞう)

俳優・司会者
1933年(昭和8年)~2015年(平成27年)

1933年(昭和8年)、神奈川県川崎市に生まれる。本名は、陶山 惠司(すやま やすじ)。父は靴屋を営んでいたが、青年期に死去。1949年(昭和24年)、東京芝浦高等工業を1年で中退し、駐留軍相手の使い走りを振り出しに、古着屋、肉屋、ガラス屋の店員など23種の職業を転々とする。1954年(昭和29年)、大映のニューフェースに合格。『こんな奥様見たことない』で映画デビューを果たす。以降、甘いマスクを生かして、現代劇を中心に二枚目スターとして多くの映画に出演。金持ちのぼんぼんや陰影のある青年などを主に役どころとした。1957年(昭和32年)、『哀愁列車』で初主演。同年、川口浩の運転する車に同乗して事故に遭い、怪我をする。その後も、『満員電車』『夜の蝶』などに出演。1958年(昭和33年)には『新婚七つの楽しみ』『初夜なき結婚』などの「新婚シリーズ」で若尾文子とコンビを組み、気の弱いとぼけた夫を好演した。一方、『素っ裸の青春』『おーい中村くん』『別れたっていいじゃないか』『サラリーマンどんと節 気楽な稼業と来たもんだ』などの主演作も作られたが、1959年(昭和34年)の日本テレビ『雌花』を最初にテレビへと転向。1965年(昭和40年)からは、東京放送(現在のTBSテレビ)で放送された江利チエミ主演『サザエさん』でフグ田マスオ役を演じた。映画俳優としても、大映の現代劇の主流が文芸調やミステリー調などに変わったことを受け、川崎の役どころも歪んだ性格の内向的な人物に変わっていき、『痴人の愛』などで独得の個性を持つ脇役として活躍。しかし、『北上夜曲・北上川の初恋』『窓から見ないで』『献身』と主演作は振るわず、1970年(昭和45年)の『喜劇・おひかえなすって!』を最後に映画から遠ざかる。1971年(昭和46年)、大映が倒産。同年4月、『川崎敬三の料理ジョッキー』が放送開始。俳優業の傍ら趣味として料理を楽しんでいた川崎に、プロの料理人から家庭でもできる料理をレクチャーする内容であった。1974年(昭和49年)3月、『アフタヌーンショー』の司会に抜擢。芸能リポーター・梨元勝や俳優の山本耕一らの個性の強いレギュラー陣とともに、スピード感のある事件・芸能ニュースを報じる番組として人気を博し、ばばこういちが「納得いかない!!」と感じている問題を当事者に迫り追及する「なっとくいかないコーナー」も人気に拍車をかけた。1980年代初めには、同番組内でレポーターの山本耕一がたびたび発していた「そ〜なんですよ川崎さん」というフレーズが、当時人気の漫才コンビザ・ぼんちのネタとして大流行した。以降は俳優活動を縮小し、歌謡番組や料理番組の司会を務めた。1985年(昭和60年)、『アフタヌーンショー』において、東京都福生市内の多摩川河川敷で暴走族構成員ら約60人がバーベキューパーティーをしていたところ、参加していた「女番長」2人が「ヤキを入れる」として女子中学生5人にリンチを加えたという映像の一部始終を8月20日に「激写!中学女番長!!セックスリンチ全告白」というテーマで放送。しかし、テレビ朝日第一制作局に勤務するディレクターの中川勉の指示でリンチが行われていたとして、中川に対して暴力行為教唆容疑で逮捕状が出された。14日の放送では、社長の田代喜久雄が視聴者に向けて謝罪を行い、「テレビ取材の在り方 - 暴力事件放送の反省」と題して田代、藤原弘達、田原総一朗らがコマーシャル抜きで討論を行った。同日午後に取締役の奈良井仁一が記者会見を行い、リンチがやらせであると認めた。16日の放送では、司会の川崎が番組中に降板を表明。テレビ朝日では当番組を即刻打ち切ることを決定し、18日に最終回が放送された。1987年(昭和62年)4月、川崎と女優・古手川伸子を司会に迎えて『新・アフタヌーンショー』が放送を開始。しかし、視聴率の低迷に加え、富士山ロケ中の取材クルーの水死事故が追い打ちをかけてしまったことから、わずか半年で打ち切りとなった。川崎はこれを機に事実上芸能活動を休業。その後、俳優活動を再スタートさせたが、1990年(平成2年)8月23日に放送されたフジテレビ『世にも奇妙な物語』「屋上風景」への出演を最後に引退。晩年は所有しているマンションの家賃収入で悠々自適に生活していた。2015年(平成27年)1月、2月と連続して転倒。認知症のような傾向があるということで、川崎の病院を紹介されて入院した。7月21日、神奈川県川崎市の病院で死去。享年82。逝去後、川崎の遺志によりその死は公表されなかったが、その年の晩秋に川崎と親交があった関係者宛に対して遺族から喪中ハガキが届いたことにより、川﨑が亡くなったことが公にされた。


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大映の二枚目俳優として活躍した川崎敬三。鳴物入りでデビューとなった川口浩にちなみ、品川隆二、鶴見丈二とともに京浜東北線の駅名をもじってデビューした彼だったが、パっとしない脱力系や気弱なおとぼけ青年ばかりを演じさせられ、これといったヒットに結びつくことはなかった。それ故に、川崎敬三といえば『アフタヌーンショー』の司会が真っ先に思い出され、ザ・ぼんちのネタにされるほど、その実直な司会ぶりはお茶の間に親しまれた。後年、『アフタヌーンショー』でのやらせが社会問題となり、徐々に芸能界からフェードアウトしていったのは何とも可哀想であった。ひっそりと世を去った川崎敬三の墓は、神奈川県藤沢市の大庭台墓園にある。墓には「陶山」とあり、屍櫃に墓誌が刻む。戒名は「恵光院得道信士」。

by oku-taka | 2020-08-14 04:20 | 俳優・女優 | Comments(0)