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山口小夜子(1949~2007)

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山口 小夜子(やまぐち さよこ)

ファッションモデル
1949年(昭和24年)~2007年(平成19年)

1949年(昭和24年)、神奈川県横浜市中区に生まれる。洋裁が得意な母の影響でオシャレ好きに育ち、幼少期は当時最先端だった海外のファッション誌を真似て母が作った洋服を身に纏っていた。京浜女子大学横浜高等学校を経て、杉野学園ドレスメーカー女学院に入学。在学中はデザインを学ぶが、先輩の仮縫いのモデルを依頼されたことでファッションモデルを志すようになり、いくつものオーデションを受ける。しかし、当時求められていたのはツイッギーのような西洋的モデルであり、黒髪の山口は落選が続いた。その後、山本寛斎に見出され、1971年(昭和46年)にプロのモデルとしてデビュー。高田賢三や三宅一生、山本寛斎らのショーで注目を集める。1972年(昭和47年)パリコレクションに参加。次いでニューヨークコレクションにも出演。黒髪のおかっぱ頭と切れ長の目が東洋的な美しさを醸し出し、世界を舞台に活躍する日本人モデルの先駆けとなった。1973年(昭和48年)、資生堂のモデルとして専属契約を結び、「美」の普遍的イメージを国内外に発信していく。特に『シフォネット』のポスターは、ハーフモデル全盛の時代に、黒髪おかっぱのいかにも「日本人らしい」モデルの登場を鮮烈に印象づけ、時代の転換点を体現した。1977年(昭和52年)、米国「ニューズウィーク」誌で世界のトップモデル6人の一人にアジア人で初めて選ばれる。白い肌に切れ長の目の美しさを作り出す繊細なアイライン、高い位置のチーク、くっきり縁取った赤いリップによる彼女のエキゾチックな顔は、ヨーロッパで熱狂的に支持され、同年には英国のアデルー社が「SAYOKO マネキン」を製作。これは、パリ、ニューヨーク、ロンドンで一流店のウィンドウを飾り、“小夜子ブーム”を巻き起こした。モデルとしての活動の傍ら、舞台および映画女優としての活動も開始。寺山修司演出の『中国の不思議な役人』(1977年)の稽古で天井桟敷のメソッドに触れ、飛躍的に表現の幅を広げた後、映画『杳子』、重信浩演出による半自叙伝的舞台『小夜子:山口小夜子の世界』(1980年)で主演を務める。その他、演出家・佐藤信の舞台『忘れな草』(1986年)、国際エミー賞ほかを受賞したNHK音楽ファンタジー『カルメン』(1989年)、江戸時代から続く糸あやつり人形劇団 結城座の人形たちと共演した『ペレアスとメリザンド』(1992年)など多くの舞台に出演する。1979年(昭和54年)、米国のロックバンド、スティーリー・ダンの最高傑作とされるアルバム「彩(エイジャ) Aja」の表紙に起用される。また、オリジナルブランド「SAYOKO YAMAGUCHI」「SIE SIE」などを発表した。1986年(昭和61年)、パリ市立劇場を拠点として活動する舞踏グループ「山海塾」からメソッドを学び、横須賀功光の撮影による写真集『月 小夜子/山海塾』で共演。1987年(昭和62年)には、勅使河原三郎/KARASとのコラボレーションを始め、1989年(平成元年)にダンスパフォーマンス「石の花」世界ツアーで7都市を回った。また、音楽や舞、ファッションショーが一体化した壮麗な舞台の出演者としても、林英哲、山本寛斎、和田勉、毛利臣男、天児牛大らとのコラボレーションを行った。さらに、クリエイターとしても舞台の衣装を数多く担当。自らも出演した天児牛大演出のオペラ『青ひげ公の城』(1997年)で、衣装デザインを担当したほか、フランス・リヨン国立歌劇場で初演された、同じく天児牛大演出のオペラ『三人姉妹』(1988年)の衣装デザイン、佐藤信演出のふたつの舞台『リア王の悲劇』(2004年)の衣装デザイン、結城座公演『夢の浮橋~人形たちとの<源氏物語>』の人形デザインおよび人形遣いのスタイリングも手がける。着物をまとい、たおやかな理想の女性を演じる一方で、ロンドン・キングスロードの動向やパンク・ムーヴメントについて中西俊夫らと雑誌で情報交換するなど、新しいもの、オルタナティヴなものに対する強い感受性を持っていた。2000年(平成12年)年代にはいると、彼女のそうした側面が遺憾なく発揮。晩年は「ウェアリスト(着る人)」と名乗り、自らの身体において、ファッションだけでなく、ダンス/舞、音楽、映像、文学など諸芸術が交錯する表現を展開した。また、クラブカルチャーを舞台に様々な表現を始め、DJとしての活動、また多くの表現者と様々な表現に挑戦。 2002年(平成14年)、藤乃家舞(CDJ、ミキサー、FX担当)、宇川直宏(VJ担当)と『SUNZU』を結成。音楽活動としては、後にラッパーのA.K.I. PRODUCTION[注 1]とも電子音楽ライブを行っている(小夜子は、DJ・ミキサー・声を担当)。2003年(平成15年)、映像作家、VJとして活躍していた生西康典、掛川康典と、舞、ファッション、音楽、映像、朗読などが一体化したパフォーマンスを展開。山川冬樹ら若い世代のパフォーマーたちとも積極的に共演する。2007年8月14日午後6時頃、急性肺炎のため東京都内の自宅マンションで死去。享年57。


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日本人スーパーモデルの草分けとして世界的に活躍した山口小夜子。戦後、西洋を模倣して急成長を遂げた日本において、黒髪のおかっぱ頭と切れ長の目という「The日本」的な容姿で世界に挑戦。その東洋的な美しさが熱狂的に支持され、国内外のアーティストたちの創作意欲をかきたてた。後年はモデル活動から離れ、ダンスパフォーマーやDJ、オペラの衣装デザイナーなどと幅広く活躍。私生活をあまり明かさず、徹底的にミステリアスなカリスマを演じ続けた。2007年8月14日、急性肺炎のため突然この世を去り、その最期もまたミステリアスであった。山口小夜子の墓は、神奈川県横浜市の妙香寺にある。墓には「山口家之墓」とあり、右横に墓誌がある。亡くなった際、秘密にしていた年齢が明らかにされたが、生前プライベートを明かしてこなかった彼女の意を汲んでなのか、墓誌には没年齢が刻まれていない。戒名は「華徳院妙麗日夜信女」。

by oku-taka | 2020-07-26 21:47 | 衣・食・住 関係者 | Comments(0)