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中村寅吉(1915~2008)

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中村 寅吉(なかむら とらきち)

プロゴルファー
1915年(大正4年)~2008年(平成20年)

1915年(大正4年)、神奈川県横浜市に生まれる。貧しい農家に生まれたため生活は苦しく、高等小学校卒業後の1930年(昭和5年)、家の近くにあった程ヶ谷カントリー倶楽部に臨時キャディーとして入社。14歳からゴルフを始め、1935年(昭和10年)に21歳でプロデビュー。身長158cmと体格に恵まれなかったため、スウィングに独特の二段モーションと呼吸法を取り入れ、飛距離をのばす工夫をした結果、1938年(昭和13年)に日本オープンへ出場し、見事3位に入賞して初めて賞金を獲得する。終戦後は林由郎・小野光一と共に戦後復興期の日本ゴルフ界を支え、1950年(昭和25年)に第1回関東オープンでプロ初優勝を果たすと、その後の関東オープンでは4連覇し、1956年(昭和31年)から3連覇を達成。1952年(昭和27年)には日本オープンを優勝。その後、日本オープンでは1956年(昭和31年)と1958年(昭和33年)の合計3度の優勝を果たした。1957年(昭和32年)、日本で開催されたカナダ・カップ(霞ヶ関カンツリー倶楽部)で小野と共に日本代表として出場し、サム・スニード(アメリカ合衆国)やゲーリー・プレーヤー(南アフリカ)ら世界の強豪を抑えて団体戦優勝し、中村自身も個人戦で優勝するという快挙を達成し,日本にゴルフブームを巻き起こした。1969年(昭和44年)、シニアツアーへ転向。1972年(昭和47年)、沖縄テレビカップで若手の現役選手を抑えて優勝。1974年(昭和49年)、日本女子プロゴルフ協会初代会長に就任。プロゴルファーとして活躍する傍ら、指導者として安田春雄・樋口久子・岡田美智子。丸山智弘などの一流選手を育てた。また、コース設計者としても活躍し、日本全国に多くのゴルフ場を残した。1981年(昭和56年)、65歳で出場した関東プロシニアゴルフ選手権初日に「65」で回り、プロの公式戦で初めてエージシュートを達成した。1993年(平成5年)、勲四等旭日小綬章を受章。80歳を過ぎてからはコースに出ることはなくなったが、ゴルフ場には顔を出し、後進の指導にあたっていた。2008年(平成20年)2月11日午後4時15分、老衰のため神奈川県座間市の相模台病院で死去。享年92。


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戦後、日本にゴルフブームを巻き起こした中村寅吉。日本人初のマスターズ・トーナメント出場、シニアプロ初のエージシュート記録を樹立など、ゴルフ界を大いに盛り上げた。1957年にカナダ杯での優勝後は、また、アイアンの名手・安田春雄、日本人唯一のメジャー優勝経験を持つ樋口久子などの一流選手を育て、名指導者としても慕われた。通算36勝、公式戦17勝。林由郎・小野光一と共に戦後の日本ゴルフ界を牽引し続けた中村寅吉の墓は、神奈川県伊勢原市の三福寺にある。墓には「中村家之墓」とあり、左側に墓誌が建つ。戒名は「大山院譽壽徳天球居士」。
by oku-taka | 2020-07-19 10:43 | スポーツ | Comments(0)