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小森和子(1909~2005)

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小森 和子(こもり かずこ)

映画評論家
1909年(明治42年)~2005年(平成17年)

1909年(明治42年)、東京都港区赤坂に生まれる。旧姓は安彦(あびこ)。1928年(昭和3年)、東京府立第三高等女学校(現在の東京都立駒場高等学校)を卒業。『婦人公論』誌編集部で見習い記者を務める。雑用係として働いていた小森を作家の菊池寛が気に入り、まもなく菊池の指名で原稿取り係に昇進。菊池に競馬や料理屋を連れ回され、服や靴などを買ってもらう生活が始まった。しかし、年末進行の締め切りギリギリに原稿を取りに行った小森はそのまま菊池と遊びに行き、原稿を落としてしまったことが決定打となり、わずか4カ月でクビになる。その後、外国商社勤務を経て、菊池の運営する『映画時代』誌編集部へ移る。ここでは映画関係記事の翻訳を行う。菊池は小森のためにホテルの部屋を借りていたが、小森は当時付き合っていた学生を部屋に連れ込んでしまい、痴話喧嘩を菊池に目撃される。菊池は立ち去り、その後、このホテルを定宿としていた作家の川口松太郎と恋仲となり、京都で愛人生活を送るようになる。しかし、この関係が川口の妻にバレて破局。神戸で外国人相手のスナックに勤務した後、イギリスの船舶会社『P&O』の日本支店でOL生活を送る。このときに知り合ったNHK元会長・小森七郎の息子である小森一郎と32歳で結婚。その後、神奈川県藤沢市の鵠沼に移り住み、同地で第二次世界大戦の終結を迎えた。1947年(昭和22年)、『映画の友』誌の編集部に入り、当時の編集長の淀川長治の勧めで映画評論活動を開始。のち一身上の都合で『映画の友』誌の編集部を一方的に辞職し、そのために淀川と一時険悪な関係にあった。48歳で離婚し、まだ日本人の渡米が困難だった1958年(昭和33年)に単身渡米。アメリカの映画俳優ジェームズ・ディーンの熱狂的崇拝者として有名で、ジェームズ・ディーンの墓参を果たすと共に、『映画の友』編集者時代からの親友シャーリー・マクレーンの紹介でハリウッドを訪問。当時まだアメリカでは日本人女性が大変珍しかったのでフランク・シナトラたちから大歓迎を受けた。シャーリー・マクレーンの娘サチコ(女優のサチ・パーカー)の名前は小森の命名による。この渡米ではニューヨークで作家の檀一雄と恋愛関係になった。帰国後、テレビやラジオの洋画解説などで映画評論家として活動。話を切り出す際の一人称として「おばちゃまはね…」と語りかける独特の語り口から“(小森の)おばちゃま”の愛称で親しまれ、映画紹介の決め言葉「モア・ベターよ」は流行語にもなった。1980年(昭和55年)、フランスのシュバリエ勲章を受章。1981年(昭和56年)、映画ファンが集まり語り合う場所として、六本木で自ら7000万円を投じて映画ファンが集うお店「ムービーサロン『ココ』」を主宰。そこで働いていた従業員の女性を気に入り、独り身であった小森に「養女にならないか」と度々誘われ、最初は女性は断っていたが、小森の容態が悪くなってからは、小森の介護をするために養女となる。一方、1980年代には片岡鶴太郎が小森のものまねをしたことがきっかけで、バラエティ番組出演も多くなり、玉ねぎ型の髪型と喋り方、その人柄から人気を得た。1986年(昭和61年)、著書『流れるままに、愛』を上梓。奔放な恋愛遍歴を綴り、話題となった。1992年(平成4年)、映画界への恩返しとして松竹に人材育成費3000万円を寄付。また、熊本県熊本市の映画サークルに映画評論家時代の映画資料1万点を寄贈するなど、日本映画の復興と発展にも力を注いだ。1995年(平成7年)3月、自宅で転倒し、更に転んだ先に暖房ヒーターがあり、ヒーターの熱風で左頬と左腕に火傷を負う。足から皮膚移植するため3ヶ月の入院を余儀なくされ、退院後は車椅子が手放せない生活となり、1996年(平成8年)1月には映画評論家を引退。以降はマスメディアに露出することがなくなり、1998年(平成10年)11月に車椅子で淀川長治の葬儀に出席したのが公の場に姿を見せた最後となる。晩年はパーキンソン病、老人性認知症、うつ病を患い、寝たきりの状態で自宅療養生活を送り、養女が介護していた。2005年(平成17年)1月8日午前1時42分、呼吸不全のため東京都の自宅で死去。享年95。


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独特のヘアースタイルとトークで一世を風靡した映画評論家の小森和子。「おばちゃまはね…」「モアベターよ」の口癖は片岡鶴太郎のモノマネで広く知られ、1980年代のおばさまブームにはバラエティ番組に引っ張りだことなった。その奔放な性格と個性的なキャラクター性はお茶の間に愛されただけに、晩年のその姿には衝撃を受けた。95年の生涯を華やかに生きた小森のおばちゃまの墓は、東京都豊島区の染井霊園にある。数年前、養女が肺気腫で余命半年ということからインタビューに応じ、そのときには小森の骨は自宅に保管してり、自分が亡くなったときに納骨すると話していたが、どうやら数年前に納骨されたようである。しかし、納骨された墓のある墓域には様々な家の墓が4基ならんでおり、おそらく親戚関係なのだろうが因果関係は不明である。小森の墓は右の壁側に建立された小さい墓で、誰のか不明の戒名が刻まれている(小森は生前の希望で戒名が用意されていない)。左側面に墓誌が刻む。

by oku-taka | 2020-07-04 17:42 | 評論家・運動家 | Comments(0)