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横溝正史(1902~1981)

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横溝 正史(よこみぞ せいし)

作家
1902年(明治35年)~1981年(昭和56年)

1902年(明治35年)、兵庫県神戸市東川崎(現在の中央区東川崎町)に生まれる。本名は、横溝 正史(よこみぞ まさし)。1920年(大正9年)3月、神戸二中(現在の兵庫県立兵庫高等学校)を卒業。第一銀行神戸支店に勤務する。1921年(大正10年)、雑誌『新青年』の懸賞に応募した『恐ろしき四月馬鹿(エイプリル・フール)』が入選。1924年(大正13年)、大阪薬学専門学校(大阪大学薬学部の前身校)を卒業。一旦実家の生薬屋「春秋堂」で薬剤師として従事していたが、1926年(大正15年)に江戸川乱歩の招きに応じて上京。博文館に入社する。1927年(昭和2年)、『新青年』の編集長に就任。海外推理小説の名作を紹介するかたわら、推理小説を執筆するようになる。その後も『文芸倶楽部』、『探偵小説』等の編集長を務めながら創作や翻訳活動を継続したが、1932年(昭和7年)に同誌が廃刊となったことにより同社を退社し、専業作家となる。1934年(昭和9年)7月、肺結核の悪化により長野県八ヶ岳山麓の富士見高原療養所での療養生活を余儀なくされ、執筆もままならない状態が続く。1日あたり3 - 4枚というペースで書き進めた渾身の一作『鬼火』も当局の検閲により一部削除を命じられる。しかし、同作で注目され、以後『蔵の中』『夜光虫』『真珠郎』などロマン的なスリラーサスペンスを発表する。戦時中は探偵小説の発表自体が制限されたことにより、『人形佐七捕物帳』で時代小説に新境地を開拓。捕物帳シリーズ等の時代小説執筆に重点を移さざるを得ないなど、不遇な時代が続く。太平洋戦争の開戦前後である1941年(昭和16年)6月から12月の時期には、横溝唯一の長編家庭小説とされる『雪割草』を新潟毎日新聞(途中から新潟日日新聞に変更)に連載。1945年(昭和20年)4月より3年間、岡山県吉備郡岡田村(のち大備村、真備町を経て、現在は倉敷市真備町岡田)に疎開。病気静養と疎開の間に本格的な推理小説を徹底的に研究していたが、推理作家としての活動が制限されたため経済的にも困窮し、一時は横溝本人も死を覚悟するほど病状が悪化したが、終戦後、治療薬ストレプトマイシンの急激な値崩れにより必要量の入手がかなうこととなり、快方に向かう。1946年(昭和21年)、『本陣殺人事件』の連載を開始。同作は、戦争中抑圧されていた探偵小説に活気を与え、1948年(昭和23年)に第1回探偵作家クラブ賞(後の日本推理作家協会賞)長編賞を受賞。これに続く『獄門島』『八つ墓村』の“岡山物”で主人公・金田一耕助探偵は、江戸川乱歩の明智小五郎と並ぶスターとなり、『犬神家の一族』『女王蜂』など日本の風土を生かした論理的な本格推理小説を続々と発表。横溝自身もやや地味なベテランから一挙に乱歩に替わる日本探偵小説界のエース的存在となった。人気が高まる中、骨太な本格探偵小説以外にも、通俗性の強い長編も多く執筆。4誌同時連載を抱えるほどの売れっぷりだったが、1960年代に入り松本清張などによる社会派ミステリーが台頭すると執筆量は急速に減っていった。1964年(昭和39年)、『蝙蝠男』を発表後、探偵小説の執筆を停止。一時は数点の再版や『人形佐七捕物帳』のみが書店に残る存在となっていた。1968年(昭和43年)、講談社の『週刊少年マガジン』誌上で、影丸穣也の作画により漫画化された『八つ墓村』が連載されたことを契機として注目が集まる。同時に、江戸川乱歩、夢野久作らが異端の文学としてブームを呼んだこともあり、1970年(昭和45年)から横溝初の全集が講談社より刊行された。また、1971年(昭和46年)から『八つ墓村』をはじめとした作品が角川文庫から刊行され、圧倒的な売れ行きを示し、角川文庫は次々と横溝作品を刊行することになる。少し遅れてオカルトブームもあり、横溝の人気復活もミステリーとホラーを融合させた際物的な側面があったが、映画産業への参入を狙っていた角川春樹はこのインパクトの強さを強調し、自ら陣頭指揮をとって角川映画の柱とする。1975年(昭和50年)、ATGが映画化した『本陣殺人事件』がヒット。1976年(昭和51年)、『犬神家の一族』を皮切りとした石坂浩二主演による映画化、古谷一行主演による毎日放送でのドラマ化により、推理小説ファン以外にも広く知られるようになる。作品のほとんどを文庫化した角川はブームに満足はせず、さらなる横溝ワールドの発展を目指す。70歳の坂を越した横溝も、その要請に応えて驚異的な仕事量をこなしていたとされ、中絶していた『仮面舞踏会』を完成させ、続いて短編を基にした『迷路荘の惨劇』、金田一耕助最後の事件『病院坂の首縊りの家』、エラリー・クイーンの「村物」に対抗した『悪霊島』と、70代にして4作の大長編を発表。『仮面舞踏会』は社会派の影響を受けてか抑制されたリアルなタッチ、続く2作はブームの動向に応えて怪奇色を強調、『悪霊島』は若干の現代色も加えるなど晩年期ですら作風の変換に余念がなかった。1976年(昭和51年)、勲三等瑞宝章を受章。1981年(昭和56年)12月28日午前5時19分、結腸癌のため東京都新宿区戸山の国立病院診療センターで死去。享年79。


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金田一耕助を探偵役とする一連の探偵小説を生み出した横溝正史。日本に本格的な探偵小説というジャンルを確立し、『本陣殺人事件』『八つ墓村』『犬神家の一族』とベストセラーを連発。1970年代には角川春樹に見出され、作品の文庫化や映画化によって一躍ブームとなり、ミステリー探偵小説の巨匠と呼ばれるにまでとなった。そこまでの大御所となっても、温厚で誰に対しても偉ぶることのない性格は変わらず、映画にも愛嬌ある棒演技で出演するなど、その人柄は多くの人に好感を持って迎えられた。「探偵小説は謎解きの遊びの文学である」という信念で作品を生み続けた横溝正史の墓は、神奈川県川崎市の春秋苑にある。墓には「横溝家之墓」とあり、左横に墓誌が建つ。戒名は「清浄心院正覚文道栄達居士」。

by oku-taka | 2020-06-28 14:09 | 文学者 | Comments(0)