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高橋悦史(1935~1996)

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高橋 悦史(たかはし えつし)

俳優
1935年(昭和10年)~1996年(平成8年)

1935年(昭和10年)、大阪府岸和田市宮本町に生まれる。本名は、高橋 悦史(たかはし えつじ)。小学2年の時に父を亡くし、母の手一つで育てられる。大阪府立岸和田高等学校2年までは野球少年であったが、試合に負けた責任を取り退部。その後、演劇に興味を持ち、特に文学座の稲垣昭三に憧れを抱く。1954年(昭和29年)、上京し、立教大学文学部英米文学科に入学。在学中から演劇に関わり、演出も手がける。1958年(昭和33年)の大学卒業後、TBSラジオ劇団養成所を経て、NHK俳優養成所に入所。1960年(昭和35年)、卒業と同時にNHKと契約を結び、脇役俳優や声の吹き替え(飯沢匡脚本『ブーフーウー』の狼役等)の仕事に従事。また、卒業生で劇団三十人会を結成した。1963年(昭和38年)、本格的に新劇俳優を目指し、飯沢匡の勧めで文学座付属演劇研究所に入所。1964年(昭和39年)の卒業後、文学座研究生となる。同年、NET『徳川家康』にテレビ初出演。1965年(昭和40年)には、吉永小百合主演の日活映画『私、違っているかしら』に出演し、映画デビューを果たす。1967年(昭和42年)、文学座座員に昇格。『友絵の鼓』で初舞台を踏み、同劇団のホープとなった。以後『ガラスの動物園』『飢餓海峡』『乱―かな女堂之書』などに出演。一方、岡本喜八監督の『日本のいちばん長い日』の青年将校役に抜擢され、注目を浴びる。以後、岡本監督の作品に立て続けに出演し、性格俳優として欠くべからざる存在となる。特に、『日本の首領』、『戦争と人間』、『金環蝕』、『青春の門 自立篇』、『皇帝のいない八月』などの大作映画には重要な役どころで出演した。1970年(昭和45年)、舞台『花の館』で芸術祭優秀賞を受賞。テレビでも『鳩子の海』、『おしん』、『鬼平犯科帳』など多くの作品に出演。特に『鬼平犯科帳』では、2代目中村吉右衛門の演じる長谷川平蔵を補佐する与力・佐嶋忠介役で人気を博した。1990年(平成2年)、文学座を退団し、フリーとなる。1994年(平成6年)3月、癌が見つかり夏に入院。治療を受けるために転居し、翌年には病名を公表。以降も闘病生活を続けつつ撮影にも臨み、闘病手記と写真も公表した。その後、いったんは退院したが、1996年(平成8年)4月に再発。5月19日午後6時2分、膵臓癌のため宇都宮市の病院で死去。享年60。


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1970年代の大作映画に欠かせぬ存在であった高橋悦史。特徴ある顔と渋い低音ボイスで多くの名演を残し、特に岡本喜八監督作品では常連として出演した。また、『家政婦は見た!』第2弾、『おしん』、水谷豊の『浅見光彦ミステリー』シリーズなど、テレビドラマにおいても印象に残る演技を見せてくれた。晩年は癌と闘いながら仕事を続け、当たり役となった『鬼平犯科帳』の佐嶋忠介役はまさに「命がけ」であったと思うほど鬼気迫るものがあった。残念ながら60歳で命尽きてしまい、没後夫人が出した手記『ゆびきりげんまん ガンで逝った夫と妻の“恩愛の記”』は話題となったが、数年前にその夫人がタニタの社長との不倫を暴露して大炎上。思わぬ形で高橋悦史の名前が数年ぶりにメディアにへ出る形となってしまった。高橋悦史の墓は、神奈川県川崎市の春秋苑にある。墓には「髙橋家先祖代々之墓」とあり、右側に墓誌が建つ。戒名は「永観院功譽法悦大居士」。
by oku-taka | 2020-06-28 00:48 | 俳優・女優 | Comments(0)