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中原早苗(1935~2012)

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中原 早苗(なかはら さなえ)

女優
1935年(昭和10年)~2012年(平成24年)

1935年(昭和10年)、東京市四谷区(現在の東京都新宿区)に生まれる。父は戦前東宝で活躍した藤尾純であるが、早苗が幼少の頃に家を出たため、母で舞台女優の南部雪枝が1人で育てた。国本女子高等学校在学中の1953年(昭和28年)、『村八分』(近代映画協会)で主演級の役でデビュー。現代ぷろだくしょんに入り、設立メンバーの山村聡の家に住み込む。ここで女優としての所作を学び、山村が監督を務めた『蟹工船』にも出演し、映画、テレビドラマ、ラジオ、舞台の出演を通じて経験を重ねる。独立プロ系の作品で活躍後、母と知り合いであった水の江瀧子にスカウトされ、1955年(昭和30年)に日活と契約。中原は、笹森礼子、浅丘ルリ子、清水まゆみ、吉永小百合、芦川いづみの6人は「日活パールライン」と呼ばれ、色々なジャンルの映画の中で、主役から脇役まで様々な役柄を幅広くこなす器用な若手女優として、8年間に80本の作品に出演した。私生活では川地民夫と事実婚状態となるも、短期で未入籍のまま別離した。1964年(昭和39年)にフリーとなり、東映を中心に各社の映画に顔を出す。1965年(昭和40年)、映画監督の深作欣二と結婚。深作にはたびたび女性問題などの醜聞が報じられるなど、深作・中原の夫婦仲は多方面から心配されたが、中原は深作の逝去まで別離を選ばず、夫婦生活を全うした。結婚後はテレビドラマにも進出し、2時間ドラマなどにも多数出演した。2003年(平成15年)、夫の欣二が死去。夫亡き後は表舞台に一切出ず、引退状態であった。2012年(平成24年)5月15日、東京都世田谷区の自宅にて死去。17日、連絡が取れず心配した息子の深作健太が訪ねると、部屋で倒れていた中原を発見。検視の結果、死因は心不全で事件性はないということが判明した。


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独立プロ・日活の女優として、深作欣二の妻として、日本映画の黄金期から衰退期を生き抜いた女優・中原早苗。女優としては、主役より脇で輝く人だったように思い、特にヴァンプ役を演じさせたら非常に上手いであった。理不尽に殺した男の娘に体を真っ二つにされて復讐される映画『修羅雪姫』、仲間の死に激怒したハングマンたちに山芋を顔に塗られ街中壁バタンで晒された『ザ・ハングマン』の第13話「女ハングマン暁に死す」など、印象的な悪役はたいへん多い。深作亡き後は女優業を退いていたそうだが、現役時代に「お金がない監督の妻だから稼がないといけないのよ」と冗談めかして話していたというので、夫がいないのならば女優を続ける意味がないと判断したのかもしれない。しかし、2009年に『女優魂 中原早苗』というインタビュー本が上梓されただけに、それから3年後の突然の訃報には驚きを隠せなかった。同書では、関わった映画監督や役者に辛辣な評価を浴びせ、出演作品を「知らない」「覚えてない」と素っ気ない一言で斬ってしまうなど、気が強くてさっぱりした性格であるという印象を受けた。だからこそヒロインまで務めながらもヴァンプをこなすことができたのであり、女性問題が多かった深作欣二の妻を務めることができたのであろう。まさに女優魂で生きた中原早苗の墓は、神奈川県川崎市の春秋苑にある。洋形の墓には「深作家」とあり、背面に墓誌が刻む。
by oku-taka | 2020-06-20 23:36 | 俳優・女優 | Comments(0)