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長門勇(1932~2013)

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長門 勇(ながと いさむ)

俳優
1932年(昭和7年)~2013年(平成25年)

1932年(昭和7年)、岡山県倉敷市に生まれる。本名は、平賀 湧(ひらが いさむ)。高校中退後、自動車修理工場など職を転々としたが、芝居をやりたくて1948年(昭和23年)に旅回り一座の高尾光子劇団へ入団。翌年には上京し、浅草の浅草小劇場(浅草ショー劇場、後の浅草美人座)を振り出しにロック座やフランス座などでコメディアンとして活動。修業を重ねた後、黎明期のテレビ界に進出した。 1961年(昭和36年)、TBS系列局で放送されていた朝日放送製作のコメディ番組『スチャラカ社員』に出演。出身地の言葉である岡山弁で流行語にもなった「おえりゃあせんのう」「テッテ的(徹底的)にやってやる」などのフレーズを用いたキャラクターで人気を得た。1963年(昭和38年)、五社英雄演出によるテレビ時代劇『三匹の侍』で、平幹二朗・丹波哲郎とともに主演の浪人役を演じる。ユーモラスな岡山弁を話す槍の達人というそのキャラクターは人気を集めた。この『三匹の侍』での桜京十郎役が当たって以降、時代劇では槍の使い手を数多く演じ、舞台『春の坂道』、テレビ『赤穂浪士』、映画『道場破り』などでも活躍した。また、のほほんとした親しみやすいキャラクターが印象的で、軽演劇の舞台で腕を磨いた器用さで時代劇から現代劇までカバーした。特に「ひょうきんで人懐こい、うだつの上がらない人物を装い、いざという時に凄腕を発揮する」といった役どころを得意とし、『横溝正史シリーズ』では古谷一行演じる金田一耕助とコンビを組む日和警部役でコメディーリリーフぶりを発揮した。晩年は1人暮らしだった長門は、2011年(平成23年)頃から脳梗塞を患い、2012年(平成24年)暮れから神奈川県相模原市内の自宅近くの病院に入院していた。2013年(平成25年)6月4日、老衰のため死去。享年81。


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ユニークなキャラクター、飄々とした風貌と演技で昭和の演劇史を彩った長門勇。特に時代劇においては、おとぼけな人物ながら腕の立つ剣豪という役どころを多く演じた。また、川口技研の商品「スベラーズ」のイメージキャラを長く務めたことも印象深い。晩年は病で床に臥せっていたようだが、81歳にして老衰で亡くなるということには大変驚いた。軽妙洒脱という言葉がピッタリであった長門勇の墓は、神奈川県川崎市の春秋苑にある。墓には「平賀家」とあり、左側に墓誌が建つ。

by oku-taka | 2020-06-13 23:48 | 俳優・女優 | Comments(0)