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宇津井健(1931~2014)

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宇津井 健(うつい けん)

俳優
1931年(昭和6年)~2014年(平成26年)

1931年(昭和6年)、東京府東京市深川区(現在の東京都江東区)に生まれる。4歳で父を亡くし祖父母に育てられる。祖母の影響で幼い頃から芸事に親しみ、小学生の頃から日本舞踊を習う。1950年(昭和25年)、千葉県立千葉高等学校を卒業し、早稲田大学第一文学部演劇専修に入学。その直後、新宿で颯爽と馬に乗る同大学の馬術部員に惹かれ、馬術部に入部。以来、乗馬歴は60年に及び、乗馬技術のみならず馬の習性・乗馬用具にも造詣が深く、日本の俳優の中でも、屈指の馬術の達人として挙げられている。在学中の1952年(昭和27年)に俳優座養成所に第4期生として入団。同期には佐藤慶・中谷一郎・仲代達矢・佐藤允らがいる。黒澤明監督の『七人の侍』にエキストラで出演した後、1953年(昭和28年)に映画『思春の泉』で初主演。配役理由は「裸馬を乗りこなす」ことが条件だったため、適任者がなかなか見つからず、宇津井に白羽の矢がたった。仲代、佐藤慶、中谷からは「ほんとにもう……。健ちゃん、馬に乗れて良かったね」と羨ましがられた。1954年(昭和29年)、新東宝に入社。大学を中退し、同社の若手スターとして活躍した。1957年(昭和32年)からは国内初の特撮ヒーロー映画『鋼鉄の巨人(スーパー・ジャイアンツ)』(石井輝男監督)シリーズで主演を務め、地球を守る宇宙人役を演じて子どもたちの人気を得る。1961年(昭和36年)に新東宝が倒産すると大映に移籍。映画では脇に回ることが多くなり、60年代半ば以降は活動の中心をテレビに置く。1965年(昭和40年)、大映テレビ室制作のTBS系『ザ・ガードマン』シリーズに主演。同番組は2年連続視聴率1位、最高40.5%を記録する大ヒットとなり、約7年に亘り放映されて人気を確立した。1971年(昭和46年)、大映倒産直前に独立した大映テレビに移籍。その後は、大映テレビドラマの大黒柱として活躍。特に1974年(昭和49年)に山口百恵が主演を務めるTBS『赤い迷路』に父親役で出演して大ヒット。以降、『赤い疑惑』『赤い運命』『赤い激流』など、一連の「赤い」シリーズに出演し、山口百恵とともに一世を風靡。「芸能界の紳士」「理想の父親」と称された。また、1976年(昭和51年)の『赤い衝撃』で主人公の恋人役を演じた三浦友和が山口百恵と結婚した際には仲人を務めた。その後もTBS『野々村病院物語』、テレビ朝日系『さすらい刑事旅情編』シリーズなどの作品で主演。平成に入ってからは『ごくせん』にて主人公の祖父役で出演し、比較的若い世代にも顔が知られた。一方、NHK大河ドラマ『武田信玄』『信長KING OF ZIPANGU』などでも渋みのある脇役を好演した。また、日本テレビ系『たんぽぽ』に出演以降、橋田壽賀子作品にはたびたび起用され、2006年(平成18年)からはTBS系『渡る世間は鬼ばかり』に病気降板した藤岡琢也に代わって小料理店の主人・岡倉大吉役を演じた。2013年(平成25年)頃から肺気腫を患い、知人の医師が勤務する名古屋市の病院に通院していた。遺作となったテレビドラマ『渡る世間は鬼ばかり 2013年スペシャル』の収録時は肺気腫の影響もあって呼吸が困難であったため、撮影の合間に呼吸器をつけて息を整えながら臨み、1分以上の長台詞も最小限に抑える配慮の下で無事に乗り切った。2014年(平成26年)3月になると容態が急変。3月11日には緊急入院し処置を受けていた。3月14日午後6時5分、慢性呼吸不全のため愛知県名古屋市内の病院で死去。享年82。


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端正な二枚目を演じ、理想の父親像としてもお茶の間に親しまれた宇津井健。出演したドラマは軒並み高視聴率をマーク。特に、悪と闘う警備員を描いた『ザ・ガードマン』と、時のアイドル・山口百恵の父親役を演じた「赤い」シリーズは彼の代表作になった。また、コサキン(関根勤・小堺一機)のラジオ番組で下半身をネタにされても、怒ることなく朗らかに笑い飛ばし、コサキンの芸を「江戸前キュート」と褒め称えるその懐の広さが印象的だった。常に爽やかさを失わず、「悪役はやらない」を信条に役者人生を歩み続けた宇津井健の墓は、神奈川県川崎市の春秋苑と愛知県名古屋市の日泰寺にある。後者の墓は、名古屋の名門クラブ『なつめ』を経営し、宇津井が亡くなる2週間前に籍を入れた後妻によって建立されたもの。当初はこの墓地に埋葬されたが、3回忌の直前に分骨を希望していた長男の願いが叶い、前者の墓にも埋葬された。前者の墓には、五輪塔の先祖代々の墓と「宇津井家之墓」の二基があり、左側に墓誌が建つ。後者の墓には「宇津井家之墓」とあり、左側に墓誌が建つ。戒名は「慈生院法浄健徳居士」。
by oku-taka | 2020-06-13 18:47 | 俳優・女優 | Comments(0)