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篠沢秀夫(1933~2017)

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篠沢 秀夫(しのざわ ひでお)

フランス文学者
1933年(昭和8年)~2017年(平成29年)

1933年(昭和8年)、東京府東京市京橋区(現在の東京都中央区)に生まれる。1946年(昭和21年)、東京都立第一中学校に入学。在学中に中学制改革にあう。1948年(昭和23年)、アテネフランセでフランス語を学ぶ。1953年(昭和28年)3月、東京都立日比谷高等学校を卒業。学習院大学文学部フランス文学科に進学し、19世紀以降のフランス文学を研究する。1957年(昭和32年)3月、学習院大学文学部フランス文学科を卒業。1959年(昭和34年)3月、東京大学大学院人文科学研究科仏語仏文学専門課程の修士課程を修了。フランス政府給費留学生試験に合格し、フランス・パリ大学へ留学。留学中の1962年(昭和37年)、自動車事故を起こして最初の妻を失う。帰国後の9月、学習院大学文学部の非常勤講師となる。1963年(昭和38年)4月、明治大学法学部の専任講師に就任。1966年(昭和41年)には助教授となり、1971年(昭和46年)に教授となる。1973年(昭和48年)4月、学習院大学文学部フランス文学科の教授に就任。以降、定年退職を迎えるまでの約30年間を学習院大学に勤務する。1977年(昭和52年)、4ヶ月で降板した和久峻三の後を継いで『クイズダービー』に出演。出演の話を引き受けた理由として、この2年前に海の事故で長男を亡くしたことから当時悶々とした日々を過ごしていたことで、気分転換したかったからという。また、「自分はクイズが出来ないが、それでもいいということを見せたくて」という考えもあったという。以後、11年にわたり、4代目1枠レギュラーの解答者として活躍。「教授」の愛称で一躍有名人の仲間入りを果たした。 篠沢の正解率は、3割2分7厘(平均正答数約2.6問)となっている。珍回答も多く、三択問題以外の自分で回答を考える問題ではしばしばとてつもなく外した答えを書き、しかも自信満々に笑顔で説明するため、説明を受けた司会の大橋巨泉は呆れていた。大橋巨泉にからかわれても、篠沢は「愉快ですね」と笑い飛ばして、たちまち人気者になった。篠沢は、「3割程度の正解率が上品」と語っていた。オッズは常に高めに設定(2枠回答者の次)されており、持ち点が少なくなった出場者が篠沢に賭けたり、賭けて失敗するケースも多く存在した。これを象徴する番組内の名文句として「篠沢教授に全部!」が有名である。1986年(昭和61年)、アニメ映画『扉を開けて』で大学教授の声優を担当。1992年(平成4年)、大腸癌を発症。手術のため入院するも良好に回復し経過もよく、仕事も続けていた。2004年(平成16年)6月、学習院大学の名誉教授に就任。8月、日本文化チャンネル桜の番組『桜塾講座-篠沢講座』で講師としてレギュラー出演し、「仏文化と日本文化」の共通性等について解説した。2006年(平成18年)6月、「新しい歴史教科書をつくる会」から八木秀次が袂を分って設立した「日本教育再生機構」に参加。精力的に活動していたが、2008年(平成20年)頃から呂律が回らず、2009年(平成19年)1月に検査入院後、筋萎縮性側索硬化症(ALS)と診断される。同年2月より闘病に入り、2010年(平成22年)には週刊朝日(2010年1月15日号)で病状を告白した。同年4月からは気管切開を行い呼吸器を装着。夜間の介護が必要となり、家族への負担が増したことから、夫人が介護保険以外に障害者自立支援法で定められたサービスを自宅がある新宿区役所に申請したところ、65歳以上であることを理由に却下された。新宿区側の対応は「65歳以上は、障害給付の新規は受け付けない」との内規に基づいており、この内規は障害給付の対象を限定する目的で設定・運用されていたが、障害者自立支援法の趣旨に反するものだった。新宿区は内規を廃止し、担当職員の対応も不適切だったとして、当時の区長・中山弘子が篠沢側に謝罪した。2011年(平成23年)6月より講演活動を再開。ここでは、日本文化チャンネル桜「桜塾講座-篠沢講座」から抽出の約15分の講演音声から作った、自身の声を再現する音声合成装置、自分の声ソフトウェアPOLLUXSTARを用いていた。2013年(平成25円)4月、瑞宝中綬章を受章。2015年(平成27年)頃からALSの症状が進行し、意思表示をすることができなくなっていたが、問いかけると瞬きや表情の変化はあった。2016年(平成28年)8月頃からALSの影響による肺炎で入退院を繰り返すようになり、一時は回復の兆しを見せたものの、2017年(平成29年)10月に入り容態が急変。この時には腎機能にも障害が出ていた。10月26日午前1時49分、肺炎のため東京都文京区の東京大学医学部附属病院で死去。享年84。


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『クイズダービー』の珍答迷答ぶりで名物解答者として人気を博し、「篠沢教授」の愛称で親しまれた篠沢秀夫。「宇宙人」といわれたはらたいら、「三択の女王」こと竹下景子とは対照的に、大学教授でありながら正答率が低く、堂々と間違いの回答を繰り出すそのギャップさがお茶の間に受けた。司会の大橋巨泉からイジられても「ハッハッハッ」と笑い飛ばすその存在は、番組の癒しでもあった。しかしその笑顔の裏には、前妻の事故死、長男の水難事故死という悲しい運命が隠されていた。晩年は難病ALSと闘い、その生涯を終えた篠沢秀夫の墓は、神奈川県横浜市の総持寺にある。墓には「篠澤家之墓」とあり、左横には最初の妻に捧げた墓誌が建つ。そこに篠沢の名前はない。戒名は「佛地院寛道秀光居士」。
by oku-taka | 2020-05-27 18:50 | 学者・教育家 | Comments(0)