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桂木洋子(1930~2007)

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桂木 洋子(かつらぎ ようこ)

女優
1930年(昭和5年)~2007年(平成19年)

1930年(昭和5年)、東京府東京市四谷区(現在の東京都新宿区)に生まれる。本名は、黛 住恵(まゆずみ すみえ)、旧姓は富沢(とみざわ)。1946年(昭和21年)、東京都立麹町女子商業学校(現在の東京都立芝商業高等学校)を卒業。松竹歌劇団に戦後の2期生として入団する。1948年(昭和23年)、黒澤明脚本の『肖像』を準備中の木下惠介監督の目に留まり、この作品で映画デビュー。続いて、同監督の『破戒』に出演したのを期に歌劇団を退団し、松竹に入社する。その後、木下組の常連となり、『破れ太鼓』『善魔』『日本の悲劇』『喜びも悲しみも幾歳月』に出演。1950年(昭和25年)には『三つの結婚』で初主演を務め、甘い美貌で人気を集める。純情な乙女・若夫人といった役柄が続いたが、1953年(昭和28年)に作曲家の黛敏郎と結婚。以降は家庭を優先して徐々に出演本数を減らし、1963年(昭和38年)の日活『丘は花ざかり』を最後に女優を引退した。2007年(平成19年)3月に死去。享年76。葬儀は近親者で済ませ、翌月に公表した。死亡日や死因などの詳細は遺族の意向で伏せられた。


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純情可憐な愛くるしい見た目で、戦後の松竹映画においてヒロインを多く務めた桂木洋子。小顔で体も華奢、クリっとした目、声も今でいうアニメヒロインのような愛らしさで、存在全てがとても可愛らしい女優であった。それだけに、黛敏郎がかっさらっていったことは大変残念であった。後年、女優業はいっさいセーブし、市井の人として静かにこの世を去っていった桂木洋子。木下恵介門下の優等生だった彼女の墓は、神奈川県横浜市の総持寺にある。墓には「黛家之墓」とあり、墓誌はない。

Commented by 牧子嘉丸 at 2023-09-07 05:05 x
山本有三原作の「真実一路」(川島雄三監督)や「命うるわし」【大庭秀雄監督)にも出演されてましたね。どうもこの二編が見落とされているようです。参考までに。
by oku-taka | 2020-05-25 19:17 | 俳優・女優 | Comments(1)