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江口浩司(1927~2010)

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江口 浩司(えぐち ひろし)

作曲家
1927年(昭和2年)~2010年(平成22年)

1927年(昭和2年)、作曲家・江口夜詩の長男として、東京府東京市神田区鍛冶町に生まれる。1944年(昭和19年)、江田島の海軍兵学校に第76期生として入校。しかし、在校中に終戦を迎えた。何をすべきか模索の末、父と同じ作曲家を志すも、父親には猛反対される。それでもピアノや音楽を猛勉強し、1947年(昭和22年)に武蔵野音楽大学作曲科へ入学。一時学び、本格的な作曲の勉強は服部正氏に師事した。1955年(昭和30年)、作詞・作曲した『さよならのビギン』が松島詩子の歌唱で発売され、流行歌の作曲家としてデビュー。1957年(昭和32年)、大津美子が歌った『いのちの限り』が初のヒット。1959年(昭和34年)、キングレコードに入社。同社の専属作曲家として、『忘れな草をあなたに』、『下町の太陽』などのヒット曲を手がけた。1984年(昭和59年)、フリーに転身。以降も作曲活動を続け、流行歌のみならず、団体歌や、行政関係のイベントに関わる楽曲の作曲などに取り組んだ。 また、父の出身地である岐阜県上石津町(現在の大垣市)との結びつきも強く、校歌や町民歌などを手がけるとともに、1979年(昭和54年)の江口夜詩顕彰碑の建立、1994年(平成6年)の江口夜詩記念館を中心とした日本昭和音楽村開設など、父を顕彰する町の事業にも協力した。2006年(平成18年)、長年にわたる音楽活動を通じて日本音楽界の進展に多大な寄与を果たした業績に対し、第48回「日本レコード大賞」功労賞を受賞。2009年(平成21年)10月、膵臓癌が発覚。入院生活を送っていたが、2010年(平成22年)1月23日、世田谷区内の病院で死去。享年82。 没後、第52回日本レコード大賞において特別功労賞が贈られた。


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父と同じく作曲家の道に入り、『下町の太陽』『忘れな草をあなたに』等のヒット曲を生み出した江口浩司。特に当時新人女優だった倍賞千恵子に曲を提供し、歌手としても成功させた。親子二代で歌謡界に功績を残した江口浩司の墓は、東京都杉並区の法照寺にある。墓には「南無阿弥陀佛 江口家」とあり、右側面に墓誌が刻む。戒名は「優音院釋浩大居士」。
by oku-taka | 2020-05-21 13:22 | 音楽家 | Comments(0)