人気ブログランキング | 話題のタグを見る

江口夜詩(1903~1978)

江口夜詩(1903~1978)_f0368298_17120885.jpg


江口 夜詩(えぐち よし)

作曲家
1903年(明治36年)~1978年(昭和53年)

1903年(明治36年)、岐阜県養老郡上石津町(現在の大垣市)に生まれる。本名は、江口 源吾(えぐち げんご)。 16歳の時、海軍軍楽隊に応募し、第一期軍楽補習生として横須賀海兵団に入団。海軍軍楽隊専属の作曲家としての将来を嘱望され、英国、フランス、イタリアなどに渡って本場のクラシック音楽を学ぶ。帰国後、海軍省委託生として東京音楽学校(現在の東京芸術大学)に6年間通学してチェロ等の音楽を学ぶ。1925年(大正14年)、処女作『千代田城を仰ぎて』を完成させる。1928年(昭和3年)、昭和天皇即位大典演奏会で吹奏楽大序曲『挙国の歓喜』を発表。1930年(昭和5年)、ビクターから『夜の愁い』で作曲家デビュー。1931年(昭和6年)、海軍を退役。翌年、ヒットに恵まれないことから、心機一転を図るべくコロムビアレコードに移籍。亡妻を偲んで作曲した『忘られぬ花』が松平晃(レコードでは池上利夫)の歌唱により大ヒット。これを機にそれまでクラシック作曲家を目指していた江口は、流行歌の作曲家の道を歩むことになる。その後、『十九の春』(ミス・コロムビア)、『急げ幌馬車』(松平晃)、『月月火水木金金』(内田栄一・ヴォーカルフォア合唱団)など数々のヒット曲を生み出した。1939年(昭和14年)、東京・世田谷に「国民音楽院」(後の「日本歌謡学院」)を設立。門下の歌手としては、瀬川伸、真木不二夫、小畑実、津村謙、春日八郎、曽根史郎、作曲としては倉若晴生、桜田誠一などがおり、多くの弟子を世に送り出した。1949年(昭和24年)、キングレコードに移籍。『長崎のザボン売り』(小畑実)、『憧れのハワイ航路』(岡晴夫)、『赤いランプの終列車』(春日八郎)などのヒット曲を世に送り出した。1963年(昭和38年)、パーキンソン病に冒され、長期の闘病生活を余儀なくされる。1978年(昭和53年)12月8日、死去。享年75。


江口夜詩(1903~1978)_f0368298_17120798.jpg

江口夜詩(1903~1978)_f0368298_17120805.jpg


「大衆音楽の父」と呼ばれた作曲家の江口夜詩。「歌謡曲の父」と謳われた古賀政男と切磋琢磨し、戦前から戦後にかけて多数のヒット曲を発表。特に松平晃へ提供した曲は軒並みヒットし、戦後は『憧れのハワイ航路』という歌謡史に残る大ヒットを生み出した。モダンな哀愁漂う旋律は人の心を掴み、歌謡界に名を残す人材をも育成するなど、戦前戦後の流行歌の世界に多大な足跡を残した江口夜詩の墓は、東京都杉並区の法照寺にある。墓には「南無阿弥陀佛 江口家」とあり、右側面に墓誌が刻む。戒名は「楽道夜詩居士」。
by oku-taka | 2020-05-21 11:44 | 音楽家 | Comments(0)