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渡辺淳一(1933~2014)

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渡辺 淳一(わたなべ じゅんいち)

作家
1933年(昭和8年)~2014年(平成26年)

1933年(昭和8年)、北海道空知郡上砂川町朝陽台に生まれる。中学校時代、国語教師を通じて初めて文学と触れ合い、文学への関心を高めつつも、1952年(昭和27年)北海道大学理類に入学。1954年(昭和29年)には札幌医科大学医学部に進学し、医学の道へと進む。在学中に処女作『イタンキ浜にて』を発表。1958年(昭和33年)、札幌医科大学医学部を卒業。1959年(昭和34年)、整形外科で医師国家試験に合格。母校の整形外科で講師となるが、同人誌『くりま』を通じて小説を発表し続けた。1959年(昭和34年)、『人工心肺』がテレビドラマ誌脚本募集に入選し、テレビ放映される。1965年(昭和40年)、北海道内の同人誌優秀作に選ばれた『死化粧』で第12回新潮同人雑誌賞を受賞。母親の死を描いた同作は、第54回芥川賞候補にもなった。当時、渡辺は『異邦人』を暗記するほどカミュに熱中し、過去形で積み重ねられていく、短く簡潔な文章にひそむ乾いた叙情性は強い影響を与えた。1967年(昭和42年)、『霙』が第57回直木賞候補、翌年も『訪れ』で第58回芥川賞候補となる。1969年(昭和44年)、同大学の和田寿郎教授による和田心臓移植事件を題材にした『小説・心臓移植』(後に『白い宴』と改題)を発表。日本初の心臓移植手術に対し、学内にありながら疑義を呈したため、札幌医科大学講師を辞職。本格的に作家業に専念するため上京した。1970年(昭和45年)、西南戦争で傷を負い、1人は腕を切断し、1人は切断しないままという処置の違いで、対照的な後半生を歩む2人の軍人の数奇な運命をたどる人間像を描いた『光と影』で、第63回直木賞を受賞。同年、日本の女医第一号である荻野吟子の生涯を描いた『花埋み』を発表。以降、伝記小説的な分野も手掛けるようになり、北海道出身の女流歌人中城ふみ子の短い生涯を追う『冬の花火』(1975年)、明治期から大正へかけて新劇の勃興期に一時代を築いた松井須磨子の一生を人間的な角度から捉えた『女優』(1977年)、日本の志願解剖第一号となった遊女の動機に迫った『白き旅立ち』(1979年)などの秀作を発表した。1972年(昭和47年)、ニヒルで孤独感の漂う外科医と、彼を慕う看護婦との報われない恋愛と医学界の内幕を描いた『無影燈』(1972)を発表。初めての週刊誌連載となった本作で渡辺淳一の人気は決定的になった。1979年(昭和54年)、『遠き落日』『長崎ロシア遊女館』で第14回吉川英治文学賞を受賞。1982年(昭和57年)、濃密な性描写を描いた『化粧』を発表。男女の愛と性の深淵や人間の情念を華麗な筆致で描き「新耽美派文学」として高い評価を受け、渡辺淳一の名声をより一層確実なものとする。以降、『ひとひらの雪』(1983年)、『化身』(1986年)など男女の愛と性を描いた小説を多く発表し、いずれも大ベストセラーとなる。1990年(平成2年)発表の『うたかた』刊行時には、「うたかた族」といった造語が誕生。渡辺は恋愛小説の教祖的存在となった。1995年(平成7年)、「日本経済新聞」に『失楽園』を連載。日頃恋愛小説に接することの少ない中年男性読者を魅了し、新聞に連載されるエロチックな恋愛小説をサラリーマンが通勤途上で夢中で読むという現象が海外でも話題となった。1997年(平成9年)には『失楽園』が映画・テレビドラマ化。一大ブームを巻き起こし、刊行本も250万部を超すベストセラーになり、さらには「失楽園」が新語・流行語のグランプリを受賞するという出来事も起こった。2003年(平成15年)、紫綬褒章を受章。同年、菊池寛賞を受賞。2006年(平成18年)、かつては売れていた小説家と人妻との愛を描いた『愛の流刑地』を発表。初版発行部数が上下巻合わせて40万部というヒット作となり、「あいるけ」の略称で映画化・TVドラマ化が相次いでされた。2007年(平成19年)、エッセイ『鈍感力』を発表。元内閣総理大臣小泉純一郎が、国会内で当時の幹事長中川秀直、内閣官房長官塩崎恭久らと会い、「目先のことに鈍感になれ。『鈍感力』が大事だ。支持率は上がったり下がったりするもの。いちいち気にするな」と発言。その中で『鈍感力』という言葉を引用したため流行語となり、新語・流行語大賞トップテンに入賞した。同書は同年夏までに100万部を売るベストセラーとなっている。作家として活動する一方、直木賞、吉川英治文学賞、中央公論文芸賞、柴田錬三郎賞、島清恋愛文学賞といった多くの文学賞の選考委員を務めた。2010年(平成22年)、前立腺癌が発覚。入院はせずに抗がん剤治療を受け、自宅療養をしながら仕事を続けた。この間も「老人の性」などを題材にした新たな作品作りに意欲を見せていたが、2013年(平成25年)末に体調を崩し、連載や新作の執筆の中断。2014年(平成26年)4月30日午後11時42分、前立腺癌のため東京都内の自宅で死去。享年80。


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数多くのベストセラーを世に送り出してきた渡辺淳一。初期は医学・歴史・伝記的小説と多彩に書き、後年は男女の愛と性をひたすらに描き続けた。ただ、その恋愛小説の中身は大胆すぎる性的描写ばかりが際立ち、それが谷崎潤一郎のような芸術的側面にすら昇華できておらず、正直官能小説との違いは何なのかと問いたいレベルだった。しかし、中高年の圧倒的支持を得た人気作家に誰も意見を言うことができず、作品の質はおろか人間性をも堕落させていった。直木賞の選考委員でありながら自身の物分かりの悪さを棚に上げて堂々と非論理な批評を書き連ね、新幹線で指定席券が無い事を車掌に指摘されて逆上したことを平然とブログに書いてしまうなど、心底あきれることが多々あった。そんな渡辺淳一の墓は、東京都杉並区の築地本願寺和田堀廟所にある。墓には「俱會一處 渡邉家」とあり、右側に墓誌、左側に自書刻の「天衣無縫」碑が建つ。戒名は「愛楽院釈淳信」。

by oku-taka | 2020-05-14 17:12 | 文学者 | Comments(0)