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源氏鶏太(1912~1985)

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源氏 鶏太(げんじ けいた)

作家
1912年(明治45年)~1985年(昭和60年)

1912年(明治45年)、富山県富山市に生まれる。本名は、田中 富雄(たなか とみお)。父は富山の置き薬売りで、家庭は豊かではなかった。7人兄弟の末っ子だったが、兄・姉たちとは年がはなれており、源氏が物心つく頃には兄・姉たちは家を出ていたため、母と2人で暮らす。富山商業学校時代は、中山輝に師事して詩を書いていた。1930年(昭和5年)、大阪の住友合資会社に入社。経理課長代理まで昇進した一方、先に大阪に住んでいた文学青年の長兄の影響で、就職後に小説を書くようになり、「副収入」も兼ねて様々な雑誌の懸賞小説に応募した。その頃は、投稿のたびにペンネームを変えており、1934年(昭和9年)に花田春樹名義で発表した『村の代表選手』が「報知新聞」のユーモア小説を受賞し、初めて活字になる。翌年、源氏鶏太のペンネームで『あすも青空』を「サンデー毎日」に応募し、佳作入選する。ペンネームの由来は「平家より源氏が好きなこと」と「『鶏』という字が好きで、『鶏太』とすると、昔の武士の名前のようになる」という理由であった。また、『婦人公論』が「女性に限る」として詩を募集した時は、偽った女性名のペンネームで応募し、入選したこともある。1944年(昭和19年)6月、海軍に召集され、舞鶴防衛隊に配置される。のち、無線教育を受け、1945年(昭和20年)6月には特設駆潜艇第七富久川丸に電探兵として乗り込み、終戦を迎えた。戦後の財閥解体時は、GHQからの指示で、住友本社の清算事務を担当した。その後は、泉不動産(現在の住友不動産)で総務部次長を務め、サラリーマン時代はずっと経理畑を歩んだ。しかし、会社の給料のみで暮らしていけなくなったため、本腰を入れて小説を書く。ペンネームも「源氏鶏太」に固定して、1947年(昭和22年)に短編『たばこ娘』を『オール讀物』に発表。1948年(昭和23年)には、「大阪新聞」に初の長編『女炎なすべし』を連載し、同年に最初の単行本として刊行される。また、大阪文壇に大きな力を持っていた藤沢桓夫に対抗して作られた、作家集団「在阪作家倶楽部」に参加し、長谷川幸延、宇井無愁、茂木草介、京都伸夫らを知る。1948年(昭和23年)、宇野千代が社長のスタイル社が創刊した『スタイル読物版』に、初の「サラリーマン小説」である『浮気の旅』を発表する。この作品は好評で、日本文芸家協会編の『現代小説選集』にも収録された。以後、それまで日本文壇でほとんど書かれたことがなかった「サラリーマンの人生の悲喜劇を描いた小説」である、サラリーマン小説を書き続けるようになる。1948年(昭和23年)12月、住友の子会社「泉不動産」の総務部次長として東京に赴任。1950年(昭和25年)、サラリーマン小説『随行さん』『目録さん』『木石にあらず』で、上半期・下半期の直木賞候補になる。そして、1951年(昭和26年)に『英語屋さん』で第25回直木賞を受賞する。同年8月、「サンデー毎日」に連載された『三等重役』が大ヒット。GHQにより戦前よりの会社の重役陣が退社させされ、本来重役になるべきではない人物たちがサラリーマン重役になったという同作は題名が流行語ともなり、河村黎吉が社長役、森繁久彌が人事課長役で東宝により映画化もされ、ヒット作となった。この映画は、河村が死去したために森繁が社長役となって「社長シリーズ」としてシリーズ化され、東宝のドル箱映画となった。この功績により、後に源氏は東宝の監査役に就任している。以降も、ユーモアあふれるサラリーマン物の小説を多数発表し、サラリーマン小説の草分けとしてその地位を不動なものとした。1956年(昭和31年)、作家に専念するため、勤続25年目で会社を退職。1958年(昭和33年)、直木賞選考委員に就任。1961年(昭和36年)、金で買われることから始まった男女関係が恋愛に結実するまでを描いて、当時の独身男女の「恋愛至上主義」に鋭い批判を突きつけた『御身』を「婦人公論」に連載。1970年代頃からは、従来のユーモア物に物足りなさを感じてブラック・ユーモアを志向し、会社内に恨みをもったサラリーマン幽霊が現れる小説など「幽霊もの」「妖怪もの」を多く発表した。1971年(昭和46年)、『幽霊になった男』『口紅と鏡』などの作品で吉川英治文学賞を受賞。1975年(昭和50年)、紫綬褒章を受章。1982年(昭和57年)、勲三等瑞宝章を受章。1985年(昭和60年)9月12日、死去。享年73。


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日本が高度経済成長期にさしかかていた頃、ユーモアあふれるサラリーマン小説を多く発表し、サラリーマン小説の第一人者と呼ばれたのが源氏鶏太である。彼自身、住友のサラリーマンとして働きながら小説を書き続けたという二足の草鞋な作家であり、そうした背景から生まれた作品群は当時の大衆の心をガッチリと掴んだ。映像化された作品は映画だけでも80本におよび、テレビドラマ化された『七人の孫』も大ヒットするなど、文句なしの流行作家であった源氏鶏太。しかし、執筆当時の世相を反映させる大衆小説の運命か、源氏の没後は作品のほとんどが絶版となり、忘れられた作家となってしまった。ここ数年、大衆小説が文庫化され、再び日の目を見ることになったことは本当に良かったと思う。流行作家・源氏鶏太の墓は、東京都港区の善福寺にある。墓には「田中家之墓」とあり、右側面に墓誌が刻まれている。しかし、2014年に亡くなった長男の名はあるが源氏鶏太の名はなく、背面に建立者として「田中富雄 筆名 源氏鶏太」と刻む。
by oku-taka | 2020-04-17 16:30 | 文学者 | Comments(0)