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塩月弥栄子(1918~2015)

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塩月 弥栄子(しおつき やえこ)

茶道家
1918年(大正7年)~2015年(平成27年)

1918年(大正7年)、裏千家14代家元千宗室の長女として京都府京都市で生まれる。幼少期はお転婆な少女で、外で男の子たちと一緒になって走り回ったり、晴れた日に家の大屋根の上に登ってうたた寝をし“行方不明騒動”を起こした。父はしつけに厳しい人だったが、「女の子はいずれ嫁に行くのだから、その前にいろんな体験をしておいた方がいい」と、やりたいことを自由にやらせた。そのため、乗馬やダンス、テニス、スケートを嗜み、京都市立二条高等女学校の3年生時に茶道を習い始める。女学校卒業後の1938年(昭和13年)、東京にあった荏原製作所の社主の長男・畠山不器と見合い結婚。2男2女の4人の子供に恵まれたが、1948年(昭和23年)に子供を残して上京。後に離婚し、お茶汲みの仕事をしながら、英文タイプを学び、英会話学校にも通う。1952年(昭和27年)、精神科医の塩月正雄と再婚。その後、大学の茶道部やカルチャーセンターの先がけとなった産経学園などで茶道を教えるようになる。1962(昭和37年)には、当時人気番組だったNHK『私の秘密』にレギュラー回答者として出演。人気を博し、以降、テレビ・ラジオ出演、雑誌取材、講演会など幅広く活躍。一方で、欧州などに渡り茶道を通じた文化使節として日本文化を紹介した。1970年(昭和45年)、結婚、出産、葬儀のしきたりや年中行事の由来などを解説した『冠婚葬祭入門』を発表。現代版マナーの入門書として、発売から5ヶ月間で100版を超す大ベストセラーとなり、シリーズ全体(全4冊)で約700万部を記録。同名でTVドラマ化、映画化もされた。また、茶道教室「塩月弥栄子の茶室」や養和会を主宰。 (財)淡交会顧問、裏千家的伝名誉教授、(財)青少年研究所理事、(社)日本ブライダル事業振興協会会長、その他多数の役職を務めた。1991年(平成3年)、勲四等宝冠章を受章。2015年(平成27年)3月8日午前10時20分、老衰のため神奈川県横浜市青葉区の自宅にて死去。享年96。


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300万部を超えるベストセラー『冠婚葬祭入門』で知られる塩月弥栄子。庶民の着物とは異なる補正、道具を多用する着付けの方法、着付け教室の開設、その免状システムなどを戦後広めた人である。その一方で、御曹司と結婚しながらも子どもを残して家出するなど、波乱の人生を歩んだ人でもあった。後年は茶道のみならず、女性の生き方や家庭の教育などについても提言するなど、幅広い活動を続けた塩月弥栄子の墓は、東京都港区の青山霊園にある。墓域には五輪塔と「夢」と刻まれた墓があり、左横に墓誌が建つ。戒名は「陽和院温光弥栄大姉」。
by oku-taka | 2020-04-15 22:10 | 衣・食・住 関係者 | Comments(0)