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戸川幸夫(1912~2004)

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戸川 幸夫(とがわ ゆきお)

作家
1912年(明治45年)~2004年(平成16年)

1912年(明治45年)、佐賀県鍋島村(現在の佐賀市)に生まれる。1歳の時に、医師でハンターでもあった戸川益勇の養子となる。10歳までは福岡県若松市及び八幡市(現在の北九州市)で育つ。幼少から動物好きで、動物学者になることを志し、動物に関する本を耽読した。1923年(大正12年)、父の仕事の都合で東京に移り、私立高千穂中学を卒業。東北大学古生物学科を目指して、旧制山形高等学校に入学。この頃、独自に山犬について調査していたが、その後に健康を害して中退。1937年(昭和12年)、東京日日新聞(現在の毎日新聞)に入社。社会部記者となり、中国特派員、海軍報道班員として各地に従軍する。戦後はサン写真新聞社に出向。その後、東京日日新聞社会部長、毎日グラフ編集次長を務める。1953年(昭和28年)、長谷川伸の主催する新鷹会に参加。小説の執筆を学び、1954年(昭和29年)かつて飼育していた高安犬との交流を描いた動物小説『高安犬物語』で直木賞を受賞。わが国初の本格的な動物文学と呼ばれた。翌年には新聞社を退職して作家生活に入り、動物に関する深い造詣と取材による『牙王物語』(1956年)、『諸国猟人伝』(1959年)、『動物風土記』(1961年)などを発表。他に軍記もの、社会小説、時代小説、記録文学、児童文学などの作品を執筆したが、野生動物の生態や動物と人間のかかわりなどを描いた作品を多く発表し、動物文学の第一人者となる。1961年(昭和36年)、オーストリアのパウル・ネフ社の動物短編アンソロジーに、鷹と鷹匠を描く『爪王』が収録される。1962年(昭和37年)、『子どものための動物物語』でサンケイ児童出版文化賞を受賞。1965年(昭和40年)3月、本土復帰前の沖縄でイリオモテヤマネコの標本を入手。絶滅したと思われていたイリオモテヤマネコを発見し、その経緯を『イリオモテヤマネコ』 (1972年) に著した。1977年(昭和52年)、『戸川幸夫動物文学全集』で「日本文学に動物文学という新しいジャンルを開き、独自の高峰をうちたてた」として芸術選奨文部大臣賞を受賞。1978年(昭和53年)9月、戸川の『牙王物語』が『大雪山の勇者 牙王』という名でアニメ化され、フジテレビ系で放送された。 1980年(昭和55年)、紫綬褒章を受章。1985年(昭和60年)、児童文化功労者に選出。 1986年(昭和61年)、勲三等瑞宝章を受章。また、日本動物愛護協会、世界野生生物保護基金日本委員会、エルザ自然保護の会、サバンナ・クラブ(東アフリカ友の会)の役員を勤めた。 2004年(平成16年)5月1日、急性腎不全のため死去。享年92。


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動物文学という新しい小説の分野を開拓し、椋鳩十と並ぶ動物文学の第一人者として君臨した戸川幸夫。時代小説、ユーモア小説、ルポルタージュ、ノンフィクション、伝記、戦記物語など幅広く執筆したが、特に力を入れたのが動物文学であった。動物の生態や動物と人間のかかわりなどを描いた作品は多くの支持を集め、俳優の森繁久彌は戸川の『オホーツク老人』を読んで感銘し、映画『地の涯に生きるもの』を実現化させた。作家活動以外にも動物の保護や愛護活動に尽力し、数多くの役職を歴任。生涯をかけ動物を愛し続けた作家の墓は、東京都港区の賢崇寺にある。割石を敷いた敷地に、「戸川之墓」と刻まれた自然石の墓が建つ。墓誌はないが、背面に建立者の名前として「戸川幸夫」の文字がある。

by oku-taka | 2020-04-12 22:17 | 文学者 | Comments(0)