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原知佐子(1936~2020)

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原 知佐子(はら ちさこ)

女優
1936年(昭和11年)~2020年(令和2年)

1936年(昭和11年)、高知県高岡郡高岡町(現在の土佐市)に生まれる。本名は、実相寺(旧姓:田原)知佐子。高岡第一小学校に在学中、教師から「この子は宝塚に入ったらいい」と薦められ、芸能界に憧れる。その後、高岡中学校を経て、1954年(昭和29年)に高知県立高知追手前高等学校を卒業。宝塚歌劇団と松竹歌劇団を受験するが落ちてしまい、「芸能人の多い京都ならばコネで潜り込めるかも」と思い立ち、同志社大学文学部美学美術学科に入学。1955年(昭和30年)、新東宝の「第4期スターレット」(同期は北沢典子、三ツ矢歌子、万里昌代、朝倉彩子ら)に合格。そのため大学を中退した。1957年(昭和32年)、映画『リングの王者 栄光の世界 』でデビュー。1959年(昭和34年)には東宝に移籍。しかし、テレビドラマへの憧れから数年後に東宝を退社。1963年(昭和38年)、TBSドラマ『おかあさん』の第2シリーズで知り合った実相寺昭雄と結婚。以後、 映画『あさき夢みし』『D坂の殺人事件』や、『ウルトラマンレオ』のマザラス星人、『ウルトラマンティガ』のマノン星人など、実相寺監督作品の常連出演者として夫の作品を支えた。1975年(昭和50年)、山口百恵が主演した『赤い疑惑』に出演。三浦友和の母親役で、息子を溺愛するあまり、山口百恵を絶対息子に寄せ付けまいとする母親役を好演。この強烈なイビリ役で一躍有名となり、一連の大映ドラマに欠かせない名脇役として活躍。特に『赤い衝撃』では、父親に愛されている山口百恵に嫉妬する義理の姉を演じ、視聴者に感情移入してもらうため徹底的に悪役を演じ切り、冷徹な印象を与えるためにボブスタイルの髪型にし、攻撃性を表すために赤の衣装を多く使うようにした。2020年(令和2年)1月19日午後6時4分、上顎肉腫のため東京都内の病院で死去。享年84。


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山口百恵の『赤いシリーズ』で強烈ないびり役を演じた原知佐子。TBSドラマではお馴染みの女優さんであり、特に『3年B組金八先生』第2シリーズのヒステッリクな石川裕子の母と、『3年B組貫八先生』のエネルギッシュな社会科の坂崎先生が印象深い。晩年には老婆役にも挑戦し、亡くなる4か月前には、シネマヴェーラ渋谷の新東宝映画特集のトークショーに参加し、思い出に花を咲かせていたばかりだった。原知佐子の墓は、東京都豊島区の染井霊園にある。墓には「實相寺家之墓」とあり、側面に墓誌が刻む。「慈泉院利貞聡知大姉」という戒名を付けられた彼女は、14年前に先だった夫・実相寺昭雄と共に永遠の眠りについている。

by oku-taka | 2020-04-06 00:54 | 俳優・女優 | Comments(0)