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七代目・中村芝翫(1928~2011)

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七代目・中村 芝翫(なかむら しかん)

歌舞伎俳優
1928年(昭和3年)~2011年(平成23年)

1928年(昭和3年)、五代目中村福助の長男として東京市に生まれる。本名は、中村栄次郎。成駒屋の跡取りという恵まれた環境に誕生したが、美貌の女形として将来を期待されていた父が1933年(昭和8年)に34歳の若さで病没。母と共に、明治から昭和の歌舞伎界に君臨した名女形の五代目中村歌右衛門のもとに身を寄せ、千駄ヶ谷御殿と言われた大邸宅で大切に育てられた。同年11月、歌舞伎座『桐一葉』の女童で初舞台を踏み、四代目中村兒太郎を名乗る。しかし、祖父も1940年(昭和15年)に病没。すべての後ろ盾を失い、後見の祖父が亡くなるまでは「坊ちゃん」と呼んでくれていた人が祖父の葬儀で「坊主、座布団を持って来い」と態度を変えるのを目の当たりにするなど、お屋敷の坊ちゃんから、ひとりの子役となった当時の自分を「広い原っぱに一人取り残されたよう」と後年に振り返っている。祖父の死後は、遺言により六代目尾上菊五郎の門を叩く。この出会いは生涯を決定するほど大きいもので、芝翫は終生六代目を芸と人の両面で尊敬し、「第三の父」と慕った。1941年(昭和16年)10月、歌舞伎座『戻駕色相肩』(戻駕)の禿たより、および『仮名手本忠臣蔵・九段目』小浪で七代目中村福助を襲名。以降は常に六代目の近くにあり、芸をどん欲に吸収。特に女形舞踊の大曲『京鹿子娘道成寺』は、約1カ月間も六代目の家に通い続けて指導を受け、1948年(昭和23年)3月に三越劇場で初演して賞賛を浴びた。戦後は中堅の女形として活躍。1949年(昭和24年)に六代目が没した後は、残された弟子たちで結成した「尾上菊五郎劇団」に加わり、七代目尾上梅幸に次ぐ女形として、二代目尾上松緑や十一代目市川團十郎らの相手役をつとめた。松緑の相手役は後年までしばしばつとめ、松緑の鳴神上人、芝翫の雲の絶間姫による『鳴神』は名品として知られた。1959年(昭和34年)、毎日演劇賞と大阪芸術祭奨励賞を受賞。1963年(昭和38年)、芸術祭奨励賞を受賞。1964年(昭和39年)、叔父の六代目中村歌右衛門の一座に移る。芸風の異なる「菊五郎劇団」と「歌右衛門一座」を経験したことで芸域は広がり、いかなる立役の演技にも対応できる卓越した技量を身に付けた。また、『鏡山旧錦絵』の歌右衛門の尾上、福助のお初、『本朝廿四孝』「十種香」の歌右衛門の八重垣姫、福助の濡衣など、歌右衛門とのコンビによる名品も多く生まれた。1967年(昭和42年)、芸術選奨文部大臣賞を受賞。同年、『野崎村』のお光、『助六由縁江戸櫻』の揚巻、『本朝廿四孝』の八重垣姫、『鏡獅子』の弥生/獅子の精などで七代目中村芝翫を襲名。以後、六代目中村歌右衛門、七代目尾上梅幸に次ぐ女形として活躍。亡くなる前は四代目中村雀右衛門、四代目坂田藤十郎などとともに梨園の大御所としての存在感を示した。1989年(平成元年)、紫綬褒章を受章。1996年(平成8年)、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。1999年(平成11年)、勲三等瑞宝章を受章。2006年(平成18年)、文化功労者に選出。2008年(平成20年)、日本俳優協会の会長に就任。2009年(平成21年)には伝統歌舞伎保存会の会長に就いたが、晩年は体調不良に苦しみ、舞台も休みがちになる。2010年(平成22年)、建て替え前の歌舞伎座最後の4月公演では『実録先代萩』の浅岡をつとめ、我が家のように親しんできた第四期歌舞伎座との別れに際し、病身を押して五代目歌右衛門のあたり役を演じ切った。同年9月、新橋演舞場での「秀山祭大歌舞伎」で初日のみ出演した『沓手鳥孤城落月』の淀君が最後の舞台となった。2011年(平成23年)10月10日午前0時50分、肝不全のため東京都文京区順天堂大学医学部附属順天堂医院で死去。享年83。没後、正四位、旭日重光章を追贈される。


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戦後の歌舞伎界で名女形として活躍した七代目・中村芝翫。時代物、世話物の両方に優れた技量を持ち、歌舞伎ファンからは住まいの場所から「神谷町」の愛称で親しまれた。演技は細やかで正攻法。受けを狙った場あたり的な芝居を嫌い、格調、品位を重んじた。穏やかな人柄で、人望も厚く、後進の女形の多くが教えを受けた。一方、周囲に動かされない信念の強さを持ち、歌舞伎以外の舞台には目もくれなかった。古風で端正な女形で歌舞伎を支えた中村芝翫の墓は、東京都府中市の多磨霊園にある。墓所入口に標石「成駒屋 中村家累代墓」とあり、葺石墳墓が建つ。左側には墓誌がある。

by oku-taka | 2019-10-13 16:06 | 俳優・女優 | Comments(0)