人気ブログランキング | 話題のタグを見る

片山明彦(1926~2014)

片山明彦(1926~2014)_f0368298_19131609.jpg

片山 明彦(かたやま あきひこ)

俳優
1926年(大正15年)~2014年(平成26年)

1926年(大正15年)、俳優で映画監督の島耕二、女優の大谷良子の長男として京都府京都市に生まれる。本名は、鹿児島 燁彦。生後まもなく東京市世田谷区船橋(現在の東京都世田谷区船橋)に移るが、父と母が離婚。明彦は父の後妻となった女優の片山夏子に育てられる。1937年(昭和12年)、日活多摩川の子役として、田坂具隆監督『真実一路』でスクリーンデビュー。この作品には父の島耕二もキャストで出演している。1938年(昭和13年)には田坂具隆監督『路傍の石』で初主演を果たした。この作品は文部省推薦映画の第1号に指定されており、キネマ旬報ベストテンでは1938年度の第2位に入った。1940年(昭和15年)、父の島耕二監督『風の又三郎』でも主役を務めた。私生活では暁星中学校・高等学校を卒業。1945年(昭和20年)には、長崎県大村市の西部方面後方支援隊に召集された。戦後はフリーで大映・東宝・松竹・新東宝・東映を渡り歩きながら、1954年(昭和29年)より松竹に腰を据える。戦後の主な作品は、『素浪人罷通る』(大映:伊藤大輔監督)で天一坊の役、長編映画『當り矢金八捕物帖 千里の虎』(中川信夫監督)で新吉の役、'大岡昇平の恋愛小説『武蔵野夫人』(溝口健二監督)で宮地勉の役、ラジオドラマのヒットから映画化した『チャッカリ夫人とウッカリ夫人』で孫正彦の役、田中絹代の代表作『おかあさん』で福原進の役、日本映画で初めて戦艦大和を題材とした大規模な特撮作品『戦艦大和』で西田少尉の役、『青春ジャズ娘』で後藤晴彦の役にて主演、美空ひばりが出演した『伊豆の踊子』(野村芳太郎監督:松竹)で水原栄吉の役、戦後初の怪人二十面相の登場する江戸川乱歩の作品『青銅の魔人』で水野元侯爵の役、雑誌「明星」に連載された北条誠の大ヒット小説の映画化『この世の花』で吉野俊吉の役、長篇劇映画『下郎の首』(伊藤大輔監督)で結城新太郎の役、朝日新聞に連載された佐多稲子による長編小説の映画化『体の中を風が吹く』で安川啓太郎の役、加藤芳郎の漫画作品の映画化『オンボロ人生』でシャンソンの役、ブラックコメディ作品『悪女の季節』(渋谷実監督)で殺し屋の秋ちゃんの役、山梨県を舞台にした全盲の少年ヴァイオリニストとウィーン少年合唱団の交流を描いた作品『いつか来た道』で野口時男の役、等を務めた。1959年(昭和34年)、父が大映に迎え入れられたことを契機に移籍。大映では40本以上の作品に出演で、父が監督を務める作品では準主役として抜擢された。以降、松本清張の長編推理小説の映画化『黒い樹海』で大島卯介の役、泉鏡花の小説の映画化『婦系図』で河野英吉の役、ザ・ベンチャーズが日本で発売した本楽曲のヒットにより映画化となった『二人の銀座』で小泉の役、NHK連続テレビ小説のヒットにより映画化『旅路』で勇介の役などを務めた。映画以外にテレビドラマでも活躍し、1964年(昭和39年)には松本清張の作品『西郷札』で主演を務めた。1970年(昭和45年)、中村錦之助・三船敏郎・仲代達矢・吉永小百合・仲谷昇など早々たる俳優陣たちと出演した『幕末』(伊藤大輔監督)で中平寅之助の役に出演。これが映画出演の最後の作品となる。1973年(昭和48年)、必殺仕掛人シリーズの第19話での出演を最後にテレビからも離れた。2014年(平成26年)11月16日、心不全のため死去。享年88。


片山明彦(1926~2014)_f0368298_17274794.jpg

日活多摩川の天才子役と謳われた片山明彦。戦後は父・島耕二譲りの端正な顔立ちと透き通った大きな瞳で好青年役を好演し、テレビドラマ界にも活躍の場を広げたが、1970年代前半に忽然と姿を消した。以降、メディアへの出演はおろか、トークショーやインタービュー等などにも出ず、表舞台から完全に退いた。生来病弱であったことから、それが引退の原因だったのではないかというまことしやかな噂も流れたが、理由が明かされることもないまま88歳の天寿を全うした。その訃報は、引退から何年も経っていることもあり、高倉健の訃報にかき消され、新聞記事等に小さく扱われたのみだった。スターの地位を捨て、市井の人として晩年を過ごした片山明彦の墓は、東京都府中市の多磨霊園にある。小ぶりな墓には「鹿兒島家之墓」とあるが、墓石には建之月日のみ刻み、墓誌などはない。

by oku-taka | 2019-10-12 20:28 | 俳優・女優 | Comments(0)