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東野英心(1942~2000)

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東野 英心(とうの えいしん)

俳優
1942年(昭和17年)~2000年(平成12年)

1942年(昭和17年)、俳優・東野英治郎の長男として東京市淀橋区大久保(現在の東京都新宿区大久保)に生まれる。学生時代は父がたびたび浮気をするなどしたため、カミナリ族に所属するなど、非行に走っていたこともあったが、成蹊高等学校卒業後、俳優座養成所に第12期生として入所。1962年(昭和37年)、東野孝彦の芸名で『青べか物語』に映画初出演。1973年(昭和48年)、『ウルトラマンタロウ』に出演し、明るいキャラクターを活かした荒垣修平副隊長役を演じた。平和を守る為の怪獣対策の重要な作戦会議中にもかかわらず、カレーライスにおにぎりを浸して食いながら参加している姿は大きな印象を残した。1977年(昭和52年)のNHK大河ドラマ『花神』では井上聞多(馨)役を演じ、尾藤イサオの小柄な伊藤俊輔(博文)と凸凹コンビを組んで元勲の青春像を演じた。映画では実相寺昭雄作品に4回招かれており、特に『哥』では篠田三郎扮する弟をいじめ抜く陰険な次兄役で強い印象を残した。1979年(昭和54年)、『俺はあばれはっちゃく』の主人公・桜間長太郎の厳格な父親役を演じ、長太郎が問題を起こした際には制裁を加えて「てめぇの馬鹿さ加減にはなぁ、父ちゃん情けなくて涙が出てくらぁ!」と叱り飛ばす定番セリフで人気を得た。あばれはっちゃくはシリーズ化され、その後、毎回主人公のはっちゃく役は代わったが、父親役は代わらず、その存在はお茶の間に広く知られた。 1980年代には『中学生日記』で生徒に理解のある東教諭を演じた。この経験から、各地の青少年育成団体から講演に招かれることが多く、特に「感性」について語る段になると、自ら履いている靴を脱ぎ、素足で講演会場を歩きながら話す奇抜で斬新な講演を行い、教育関係者の関心を集めていた。1983年(昭和58年)からは青少年育成国民会議主催の「少年の主張全国大会」の審査員をつとめ、教育問題をテーマに講演活動を行った。晩年も青少年育成活動での講演や、子ども向け番組を復活させる運動などに精力的に取り組んでおり、「出張芝居は依頼があればどこでもやる」というスタンスで、地域に根ざした問題を簡単なスペースで演じる「宅配芝居」の一座を仕立て手作り芝居を全国で展開した。1997年(平成9年)、政府の青少年問題審議会の委員に就任。2000年(平成12年)11月13日の夜、都内のレストランでの会食中に突然倒れ荏原病院に搬送。高血圧が原因の高血圧性脳出血であった。病院に搬送されたときは意識があったものの容態が悪化し、手当ての甲斐なく翌日14日に急逝。享年58。



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あばれはっちゃくシリーズの「バカ野郎!お前のバカさ加減には、父ちゃん情けなくて涙がでてくらぁ」の名セリフで知られる東野英心。その大きな体格を活かし、1970年代のドラマに個性的な役所で多く出演した。晩年は舞台や講演を中心に活動しており、メディアへの出演からは遠ざかっていた東野英心。父の死から6年での急逝となってしまった。東野英心の墓は、東京都府中市の多磨霊園にある。墓には「東野家之墓」とあるのみで墓誌はない。

by oku-taka | 2019-08-27 15:33 | 俳優・女優 | Comments(0)