2019年 08月 26日
西村晃(1923~1997)
西村 晃(にしむら こう)
俳優
1923年(大正12年)~1997年(平成9年)
1923年(大正12年)、北海道札幌市に生まれる。幼少期に大阪毎日新聞の論説委員だった父の影響で大阪に引っ越す。1940年(昭和15年)、日本大学専門部芸術科(現在の藝術学部)に入学。大学在学中より舞台に立つなどしていたが、1943年(昭和18年)に学徒動員で兵役にとられる。第二次世界大戦中は海軍飛行予備学生、末期には徳島航空隊の特攻隊員となった。西村は出撃機不良で基地に引き返し、その後終戦を迎えている。戦後、復員してからは本格的に演劇活動を再開。1946年(昭和21年)、東京芸術劇場の第一期生となる。1947年(昭和22年)、退団して東京青年劇場を結成。1951年(昭和26年)、新協劇団の準劇団員となる。同年、佐分利信監督作『風雪二十年』で映画デビュー。1954年(昭和29年)、岡田英次、木村功らと劇団青俳を立ち上げた。新劇俳優として活動する中、同年に製作を再開した日活と本数契約を結んだのを機に、映画に多数出演。日活プログラムピクチャーの中では悪役や敵役が多かったが、1964年(昭和39年)の今村昌平監督の映画『赤い殺意』での演技が認められ、日本映画記者会の毎日映画コンクール男優主演賞を受賞。以降、映画やドラマ、舞台と多くの名作に出演。また、ルパン三世の『ルパンVS複製人間』でマモー役をつとめるなど、声優や吹き替え、ラジオドラマからナレーションまで多種に渡り活躍した。1982年(昭和57年)、映画『マタギ』で二度目の毎日映画コンクール男優主演賞を受賞。1980年代に入るとテレビドラマでの活動が目立ち、1983年(昭和58年)には『水戸黄門』の第14部より東野英治郎の後任として水戸光圀役を演じる。東野同様に悪役で売ってきた西村は180度転換し、どこかとぼけた喜劇的要素を活かし、それまでの代名詞だった月形龍之介や東野に比して若々しいイメージから「シティボーイ黄門」と呼ばれ、お茶の間の人気者となる。1987年(昭和62年)、紫綬褒章を受章。1992年(平成4年)、長年連れ添った則子夫人が死去。そのショックもあって第21部をもって『水戸黄門』を降板した。1994年(平成6年)、 勲四等旭日小綬章を受章。1995年(平成7年)11月、食道癌を発症し手術を受ける。この時は元気に退院した。1997年(平成9年)3月のスペシャルドラマ『黄落』の収録時も元気だったが、同年4月14日夜に自宅で急性心不全を起こし、翌日4月15日午前6時半に死去。享年74。
テレビドラマ『水戸黄門』で“二代目黄門さま”を演じ、「シティーボーイ黄門」として人々から愛された西村晃。その前は、鋭い目つきと重厚な演技を活かし、多くの作品で悪役・敵役を演じた。特に映画『華麗なる一族』では、隣に上司がいるにも関わらずうな重を食べて爪楊枝シーシー、砂糖とミルクをドバドバ入れたコーヒーをズルズル音を立てながら飲み、 最後にはタバコをふかしはじめるという、成りあがり特有の卑しい人間像を実に上手く表現していた。小物な悪者を巧みに演じた西村晃の墓は、東京都府中市の多磨霊園にある。墓には自筆で「西村晃 則子 坊やと坊や眠る」と刻み、背面に墓誌がある。