人気ブログランキング | 話題のタグを見る

文野朋子(1923~1987)

文野朋子(1923~1987)_f0368298_23040618.png

文野 朋子(ふみの ともこ)

女優
1923年(大正12年)~1987年(昭和62年)

1923年(大正12年)、東京市浅草区(現在の東京都台東区)に生まれる。本名は、神山(旧姓:鈴木)澄子。1939年(昭和14年)、都島高等実践女学校を卒業。在学中だった1938年(昭和13年)に豊田四郎監督の映画『鶯』で女優デビュー。その後、大映に入社し、映画女優として活躍。1946年(昭和21年)、文学座に入座し、同年『春きたりなば』で初舞台を踏む。その後、『ハムレット』『欲望という名の電車』などに出演。文学座の看板女優・杉村春子に目をかけられ、後継者として期待された。1954年(昭和29年)、『二号』で芸術祭奨励賞を受賞。1956年(昭和31年)には共演していた俳優の神山繁と結婚した。1963年(昭和38年)、夫の神山繁らと共に文学座を脱退し、劇団 雲の結成に参加。中心女優として活躍したが、1975年(昭和50年)に福田恆存と芥川比呂志が対立して劇団内で分裂騒動が起こると、芥川、神山らと共に雲を離脱。演劇集団 円 を創立した。円では、岸田今日子、南美江と共に中心女優として活躍。舞台のほか、映画、テレビでも脇役で確かな演技力をみせた。1987年(昭和62年)7月6日、神奈川県の秦野市文化会館で『ガラスの動物園』の公演中、主役のアマンダ役を演じている最中に脳内出血を起こし、ステージ上で倒れた。そのまま救急搬送されたが、13日後の19日に急逝。享年64。


文野朋子(1923~1987)_f0368298_21281980.jpg

文野朋子(1923~1987)_f0368298_23040645.jpg

「劇団 円」の中心的女優だった文野朋子。戦後は舞台を中心に活動していた為、文野の演技で思い出されるのは、『二人の世界』で見せた栗原小巻の母親役である。その一方、神山繁とのおしどり夫婦ぶりは有名で、共に演劇人生を歩んできた良きパートナーであったが、それも彼女の脳出血による急逝という形であっけない幕切れとなってしまった。文野朋子の墓は、東京都府中市の多磨霊園にある。墓には「神山家之墓」とあり、右側に墓誌が建つ。

by oku-taka | 2019-08-25 23:57 | 俳優・女優 | Comments(0)