人気ブログランキング | 話題のタグを見る

大滝秀治(1925~2012)

大滝秀治(1925~2012)_f0368298_21225100.jpg

大滝 秀治(おおたき ひでじ)

俳優
1925年(大正14年)~2012年(平成24年)


1925年(大正14年)、新潟県柏崎市に生まれる。幼少期は東京府東京市本郷で育ち、1943年(昭和18年)に旧制私立駒込中学校(現在の駒込高等学校)を卒業。三田の電話局に勤務した。1945年(昭和20年)に通信兵として召集されるが、間もなく終戦。戦後は大手町の電話局で進駐軍の対応を担当した。その後、帝国劇場で研究生募集のチラシを見たのがきっかけとなり、1948年(昭和23年)に東京民衆芸術劇場附属俳優養成所に1期生で入所。1949年(昭和24年)、『風の吹く一幕』で初舞台を踏む。しかし、同劇団の創設者である宇野重吉に甲高く、かすれた独特の声を指して「おまえの声は壊れたハーモニカのようだから、演劇には向かないと思う」と評され、演出部へ移った。1950年(昭和25年)、民藝創設に参加。旗揚げ公演のチェーホフの『かもめ』に出演する。1952年(昭和27年)には『冒した者』の代役に起用されたことがきっかけで俳優に転じ、正式に劇団員となった。長年裏方ばかりの不遇時代が続き、映画でも1952年(昭和27年)に公開した新藤兼人監督の『原爆の子』を皮きりに民藝がユニット出演した作品などに端役で出演していたが、1955年(昭和30年)の『ここに泉あり』でまともな役を演じた。また当時、民藝が日活と提携契約していた関係で1960年代は日活のアクション映画などに、主に悪役で出演した。1970年(昭和45年)、舞台『審判』の演技で紀伊國屋演劇賞を受賞。時に45歳での受賞であった。以来、『巨匠』『浅草物語』『らくだ』など民藝の看板俳優のひとりとして数多くの舞台に出演した。映画でも山本薩夫監督の社会派映画『華麗なる一族』『金環蝕』『不毛地帯』で大物政治家を演じる一方、市川崑や伊丹十三作品の常連として活躍。特に市川作品では『金田一耕助シリーズ』全5作に皆勤出演出演しており、伊丹作品ではコミカルな役に起用されている。このことから1970年代半ばの大作ブームでは引っ張りだことなり、全国公開された大作の実に8割近くに出演した。テレビドラマでは、悪役を経て、1975年(昭和50年)から地方の巡査を演じた『うちのホンカン』で主演。1977年(昭和52年)からの8年間にわたっては『特捜最前線』で船村一平刑事役でレギュラー出演し、認知度が上がった。1976年(昭和51年)、今井正監督の『あにいもうと』で主人公の父親役を演じ、ブルーリボン賞の助演男優賞(『不毛地帯』の演技と共に受賞)、キネマ旬報賞の助演男優賞、第1回報知映画賞の助演男優賞を受賞。1988年(昭和63年)、紫綬褒章を受章。1995年(平成7年)には勲四等旭日小綬章を受章した。2000年(平成12年)、劇団民藝の創始者で代表だった滝沢修が死去。これを受け、同期の奈良岡朋子と共に代表を務め、法人の代表権は大滝が持つ形となり、奈良岡は取締役となった。2002年(平成14年)、俳優の岸部一徳と共演した大日本除虫菊(金鳥)のCMで、迫真かつユーモラスな演技を見せて話題となる。特に「つまらん!お前の話はつまらん!」の台詞は流行語となり、2004年(平成16年)には東京コピーライターズクラブ賞のグランプリを受賞した。2005年(平成17年)、舞台『巨匠』『浅草物語』で第12回読売演劇大賞の大賞・最優秀男優賞を受賞。2009年(平成21年)、『らくだ』で第64回文化庁芸術祭の大賞を受賞。2011年(平成23年)には文化功労者に選出された。2012年(平成24年)春に体調を崩し、舞台『うしろ姿のしぐれてゆくか』を降板。療養に努めていたが、10月2日午後3時17分、肺扁平上皮癌のため東京都内の自宅で死去。享年87。


大滝秀治(1925~2012)_f0368298_21225151.jpeg

大滝秀治(1925~2012)_f0368298_21243420.jpeg

個性派俳優の重鎮であった大滝秀治。その飄々とした演技と少しかすれて甲高い声は独特の存在感を放ち、舞台のみならず映画・テレビと幅広く活躍した。特に激高した演技はピカイチで、流行したキンチョールのCM「つまらん!お前の話はつまらん!」のみならず、映画『影武者』で主の仲代達矢に怒る場面や、大河ドラマ『独眼竜正宗』でいかりや長介を一喝するシーンは、短いワンシーンでありながらも印象に残っている。また、『北の国から』で不慮の事故で死んだ大友柳太朗の葬儀で、悪口ばかりを言い合う弔問客に対して静かに怒る場面も実に名演であった。その高い演技力は、長い下積みの末に培われたものであり、滝沢修から「君は俳優に向かない。やめると決心するのも才能だ」と言われ、宇野重吉には「お前のは壊れたハーモニカのようで不快感を与える」とまで言われながらも、めげずにそのしごきに耐えて培われたものだった。遅咲きの名優・大滝秀治の墓は、東京都練馬区の上石神井霊園にある。コンパクトな洋型の墓には「大滝」とあり、下部に墓誌がある。戒名は「瑞藝院秀聲居士」

by oku-taka | 2019-08-16 22:36 | 俳優・女優 | Comments(0)