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氷室冴子(1957~2008)

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氷室 冴子(ひむろ さえこ)

作家
1957年(昭和32年)~2008年(平成20年)


1957年(昭和32年)、北海道岩見沢市に生まれる。本名は、碓井 小恵子(うすい さえこ)。子供の頃から少女漫画を愛読しており、後に萩尾望都らの影響を受けたと語っている。萩尾らが少女漫画で「虚構の少年」、男女どちらからも自由な新しいイメージを描いたことに感銘を受けたが、男の子に対して現実の女の子は人生の主役にもなれないし物語の主役にもなれないと感じ、少女を主人公にした「少女小説」を意識して書くようになった。岩見沢市立緑中学校時代は理知的で活発な少女であり、興味のあることに没頭し追求する性格で、習い事も熱心に通った。その後、地元の進学校だった岩見沢東高等学校を経て藤女子大学文学部国文学科へ進学。当時の知的流行であった構造主義に傾倒し、志賀直哉の文庫本をバラして1日1ページのペースで一字一句の文章を解析する学究生活を送る。1977年(昭和52年)、大学3年の夏に賞金目当てで第10回小説ジュニア青春小説新人賞へ応募した『さようならアルルカン』で佳作を受賞。その時点では職業作家を目指していなかったものの、このときの受賞作で小説家としてデビューする。大学卒業後はオイルショックの影響で就職ができず、母親と喧嘩して家を飛び出し、高校時代からの友人と共同生活を始める。手元にあったのは出たばかりの初単行本『白い少女たち』の印税60万円であり、家賃から雑費まですべて含めて月1万9000円の貧乏生活を開始。月に1本のペースで小説を書いては出版社に送りつける生活を送る。1980年(昭和55年)、札幌の女子校寄宿舎を舞台にした学園コメディー『クララ白書』を発表。氷室の実質的なプロデビュー作となり、同作はシリーズ化された。1981年(昭和56年)、宝塚歌劇をモデルにした漫画『ライジング!』の原作を手がけることになり、生まれ育った北海道を離れて宝塚へ転居。小説家であることを隠してファンクラブに潜入し、若手スターの追っかけをしながら原稿を執筆する。1年ほど宝塚で暮らし、ファンクラブ内では準幹部まで出世している。1982年(昭和57年)、『雑居時代』を発表。重版を重ねるほどのヒット作となり、職業作家としての道が確立。札幌に戻ったが、長距離電話代の請求額にショックを受けて、1983年(昭和58年)に上京。これと平行して隔月雑誌『小説コバルト』に平安時代の宮廷貴族社会を舞台にした『ざ・ちぇんじ!』を発表。1984年(昭和59年)には平安時代の貴族・内大臣家のおてんばな16歳の娘・瑠璃姫が自身の結婚問題などから事件を起こしたり、また貴族社会の東宮・帝即位問題に関係する政治陰謀事件などを解決して行くラブコメディー『なんて素敵にジャパネスク』シリーズで一躍集英社コバルト文庫の看板作家としての地位を確立し、少女小説ブームの立役者として活躍した。氷室以前に平安時代を舞台にしたものは歴史小説が主で、創作キャラクターが活躍する小説はほとんどなかった。平安時代に育った人物は平安時代の感覚を持つはずであり、現代の女子高生のような感覚の主人公が平安時代にいるという設定は本来不自然であるが、氷室は並々ならぬ歴史・古典知識と愛情、綿密なストーリー構成によって現代的な感覚のヒロインが平安時代で活躍するというスタイルを確立。氷室の歴史ものは「古典の現代的再生」に成功した希有な例であり、その後の少女小説やライトノベル、漫画における平安もの、歴史ものに大きな影響を与えた。その後も、古代日本を舞台に設定したファンタジー『銀の海 金の大地』シリーズ、小学校時代を舞台にした半自伝小説『いもうと物語』、結婚を迫る母親との攻防戦を描いたエッセイ『冴子の母娘草』などのヒット作を発表。次第に『Cobalt』以外にも活動の場を広げ、徳間書店のアニメ情報誌『アニメージュ』で連載した『海がきこえる』は1993年(平成5年)にスタジオ・ジブリでアニメ化された。しかし、1990年代後半以降は体調を崩しがちになり、執筆活動はほぼ停止となった。2000年代は漫画賞の選考委員や雑誌の取材で平安時代小説について寄稿したりしていたが、晩年は癌の宣告を受け、お墓や戒名の手配、資産や持ち物などの整理をし、自分のお葬式について葬儀社の人と打ち合わせなど、自らの終活に取組んだ。2008年(平成20年)6月6日午前9時、肺癌のため東京都内の病院で死去。享年51。


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1980年代から1990年代にかけて数々のヒット作を発表し、少女小説というジャンルを確立させた氷室冴子。集英社コバルト文庫を代表する看板作家として活躍し、久美沙織、田中雅美、正本ノンとあわせてコバルト四天王と呼ばれた。感情豊かで魅力的な女性をヒロインにした物語を次々に生み出し、同時代を生きる若者を中心に多くの支持を得た。それまでの小説になかった自由な新しい女性像は、『マリア様がみてる』の今野緒雪や『鏡のお城のミミ』の倉世春といった次の世代の作家に大きな影響を与え、現在流行しているライトノベルの道筋を切り開いた。今なお根強いファンを持つ氷室冴子の墓は、北海道岩見沢市の明了寺と東京都新宿区の龍善寺に分骨されている。生前自身が用意した龍善寺の墓には「倶會一處」と直筆のサインが彫られている。

by oku-taka | 2019-06-01 23:07 | 文学者 | Comments(0)