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久保亮五(1920~1995)

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久保 亮五(くぼ りょうご)

物理学者
1920年(大正9年)~1995年(平成7年)

1920年(大正9年)、中国文学者の久保天随の4男として、東京府駒込に生まれる。1931年(昭和6年)、父・天随が台北帝国大学教授に就任したため台湾の台北市に移住し、翌年には台北高等学校尋常科に入学。1934年(昭和9年)、父の死に伴い駒込に戻り、東京府立第五中学校に編入。1936年(昭和11年)、中学校を4年で修了して第一高等学校 (旧制)理科甲類に入学。1939年(昭和14年)、第一高等学校を卒業し、東京帝国大学理学部物理学科に入学。1941年(昭和16年)、東京帝国大学理学部物理学科を卒業。1943年(昭和18年)、東京帝国大学理学部の助手となる。1946年(昭和21年)、助教授に昇進。翌年より伸ばしたゴムがなぜ縮むかを、統計力学を用いて解明した研究「ゴム弾性の統計力学的理論」を進め、1948年(昭和23年)に河出書房から出版した『ゴム弾性』で毎日文化賞を受賞した。1950年(昭和25年)、理学博士の学位を取得。1954年(昭和29年)、東京大学の教授となる。同年、冨田和久と線形応答理論に基づいたフーリエ変換NMRの基礎理論を提唱。これは磁性体に振動磁場がかかった時の線形応答理論であり、磁気共鳴の一般論を完成させた。1957年(昭和32年)、『非可逆過程の統計力学』の一般論を発表。そこから導き出された公式は「久保公式」と呼ばれ、輸送現象を理論的に研究する際の出発点として利用される基本的な公式となる。また、同研究で仁科記念賞を受賞。1962年(昭和37年)、金属微粒子の低温で現れる量子効果「久保効果」を理論的に予言し、量子ドットなどのナノテクノロジーの源流を創った。1963年(昭和38年)、シカゴ大学、ペンシルベニア大学で客員教授を務める。1964年(昭和39年)、財団法人松永記念科学振興財団が、優れた研究発見をした若い技術者・科学者に研究費として賞金を贈る松永賞を受賞。同年、日本物理学会の会長に就任。1969年(昭和44年)、『非可逆過程の統計力学における線型応答理論』で恩賜賞を受賞。1970年(昭和45年)、『物性基礎論とくに統計力学および確率過程論に関する研究』で藤原賞を受賞。1972年(昭和47年)、ニューヨーク州立大学客員教授となる。1973年(昭和48年)、文化勲章を受章。同年、文化功労者に選出される。1974年(昭和49年)、全米科学アカデミー名誉会員になる。1977年(昭和52年)、熱力学や統計力学に関連する新しい成果を生み出した物理学者に授与されるボルツマン賞を受賞。1980年(昭和55年)、東京大学を停年退官。京都大学基礎物理学研究所の教授となる。1981年(昭和56年)、京都大学を停年退官。慶應義塾大学理工学部の教授となる。1982年(昭和57年)、日本学術会議の会長に就任。1984年(昭和59年)、フランス科学アカデミーの名誉会員になる。1989年(平成元年)、元号制定委員として平成の制定に立ち会う。1993年(平成5年)、勲一等瑞宝章を受章。1995年(平成7年)3月31日、 脳梗塞のため死去。享年75。没後、従三位を追贈される。


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量子統計力学の父として知られる久保亮五。ゴム弾性の統計力学、磁気共鳴吸収についての研究で高い業績を挙げ、特に「久保理論」といわれる非可逆過程の線形応答理論を確立した。さらに、電気伝導率が電流のカノニカル相関で書けることを示した「久保公式」は国際的に高い評価を受け、半導体や太陽電池の研究に大きく貢献した。物理学において大きな足跡を残した久保だが、幾度となく候補に挙がったノーベル賞を受けることはなかった。1979年に内定までこぎつけたものの本人が辞退したという話があるが、真相は定かでない。統計物理学、物性物理学に多大な貢献を果たした天才学者の墓は、東京都文京区の日輪寺と東京都府中市の多磨霊園にある。前者は「久保家之墓」とあり、墓石の中央には久保公式と「Ryogo Kubo」の自筆サインが刻まれたステンレス製の銘板が据えられている。そして、右側に墓誌、左側に彼の業績が記された顕彰碑が建つ。後者の方は先祖代々の墓であり、妻と共に分骨されている。こちらは「久保家墓塋」となっており、右側に墓誌が建つ。
by oku-taka | 2019-04-15 01:50 | 学者 | Comments(0)