2019年 04月 06日
黒木憲(1942~2006)
黒木 憲(くろき けん)
歌手
1942年(昭和17年)~2006年(平成18年)
1942年(昭和17年)、東京都港区に生まれる。本名は、唐木 克彦(からき かつひこ)。明治大学政経学部在学中からハワイアンバンドで活動。後に大学を中退し、1966年(昭和41年)に大橋巨泉の紹介で東芝レコードのオーディションを受けて合格。翌年、『夜の東京の片隅で』で歌手デビューを果たす。1968年(昭和43年)、『霧にむせぶ夜』が大ヒット。 独特のハスキーボイスと哀愁のある歌声で注目され、同年には『別れても』もヒットする。1977年(昭和52年)、「おもいやり」を発売。前年に同曲を歌う予定であった克美しげるが殺人事件を起こし、その代役として友人の黒木に白羽の矢が立って話題となった。1991年(平成3年)には息子が唐木淳の名で歌手デビューをしたが、1997年(平成9年)に糖尿病の合併症による脳梗塞を発症。以来、芸能活動を休止してリハビリ生活を送っていた。2006年(平成18年)11月21日午後0時22分、腎不全のため静岡県沼津市の病院で死去。享年64。
『霧にむせぶ夜』の大ヒットで知られる黒木憲。1960年代後半に起こった男性ソロ歌手によるムード歌謡の時代に、城卓矢・矢吹健・箱崎晋一郎とともに東芝レコードの旗手として活躍した。この時代の歌手の特徴として一発屋の傾向が挙げられるが、黒木憲は3曲もヒットを残した。哀愁漂うハスキーボイスでどこかクセの強い歌声は多くの人の耳に残り、懐メロ番組にもよく呼ばれていた。それだけに、晩年は病で活動休止になってしまったのが実に惜しい。黒木憲の墓は、東京都文京区の心光寺にある。墓には「唐木家之墓」とあり、右側面に墓誌が刻む。