2019年 04月 06日
三代目・市川翠扇(1913~1978)
三代目・市川翠扇(いちかわ すいせん)
女優
1913年(大正2年)~1978
1913年(大正2年)、歌舞伎役者の五代目市川新之助、九代目市川團十郎の次女・二代目市川旭梅の長女として東京都東京市京橋区築地に生まれる。本名は、堀越 喜久榮(ほりこし きくえ)。千代田区高等女学校(現在の武蔵野大学附属千代田高等学院)卒業後、1929年(昭和4年)6月に歌舞伎座『戻り駕』の禿で市川紅梅(いちかわ こうぎょく)を名乗って初舞台。翌年には六代目尾上菊五郎が後継者養成機関として創設した日本俳優学校の1期生となる。1931年(昭和6年)、新派に参加。長く名脇役として活躍し、1939年(昭和14年)に新派が本流新派と新生新派に分かれてからも両方に出演した。1957年(昭和32年)、新橋演舞場で三代目市川翠扇を襲名して市川流三世家元を継承。同時に新派の大幹部に昇格した。1965年(昭和40年)に花柳章太郎が没してからは初代水谷八重子を助け、新派の副将格として活躍した。1970年(昭和45年)、『蛍』のおよし役と『巷談宵宮雨』のおいち役の演技で芸術選奨文部大臣賞を受賞。 1978年(昭和53年)9月27日、死去。享年64。
新派きっての名優の一人、三代目市川翠扇。父は五代目市川新之助、祖父に八代目市川海老蔵を持つ演劇界きってのサラブレッド。自らもまた演劇の世界に入り、新派で初代水谷八重子を支える名女優として華を添えた。テレビ黎明期からドラマにも多数出演しており、主に老け役を演じることが多かったが、『三匹の侍』第4シリーズ「新宿七福神 」で演じた易者は、ゲスト出演であるにもかかわらず存在感抜群で、かつ実に色っぽくて非常に良かった。没して40年になる三代目市川翠扇の墓は、東京都港区の青山霊園にある。墓には「堀越家之墓」とあり、背面に墓誌が刻む。戒名は「花香髙澄姫命」