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五代目・宝井馬琴(1903~1985)

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五代目・宝井馬琴(たからい ばきん)

講談師
1903年(明治36年)~1985年(昭和60年)


1903年(明治36年)、愛知県内海町に生まれる。本名は、大岩 喜三郎(おおいわ きさぶろう)。3歳のときに父が日露戦争で戦死。その後は母が一人で育てていたが、小学校を卒業と同時に横浜で肉屋を営んでいた叔父の家に預けられる。1923年(大正12年)、関東大震災で叔父の家が被災。復興に携わる傍ら講談を耳にするようになり、講談師を志す。1925年(大正14年)、四代目宝井馬琴に入門し、宝井琴桜の名で前座、二つ目を務める。1930年(昭和5年)、異例のスピードで真打に昇進し、宝井琴鶴に改名。1934年(昭和9年)、五代目宝井馬琴を襲名。豊かな声量と明快な芸風で男性的な作品を得意とし、「寛永三馬術」「加賀騒動」などを十八番とした。1950年(昭和25年)から1961年(昭和31年)にかけて参院選全国区に3回出馬したが、いずれも落選。1970年(昭和45年)、文化庁芸術祭賞を受賞。1971年(昭和46年)、皇居内で皇族方に御前講談を行う。1972年(昭和47年)、文化庁芸術祭賞優秀賞を受賞。同年、紫綬褒章を受章。1978年(昭和53年)、芸術選奨文部大臣賞を受賞。1980年(昭和55年)、講談協会の会長に就任。以来、講談界のまとめ役を務める。1985年(昭和60年)10月26日、死去。享年81。


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明快かつ男性的な芸風で講談師として一世を風靡した五代目宝井馬琴。声が大きく、豪快にして明快な語りの芸風は「音吐朗々の芸」といわれ、講談界の至宝と高く評価された。その独特の口調は「糞詰まり」という悪口を言われることもあったが、「卑しい心持ちと行動をするな 常に殿様の気持ちでいろ」の心情を常に守り続け、見事に己の芸を確立していった。五代目一龍斎貞丈、七代目一龍斎貞山とともに昭和講談界の三羽烏と謳われた五代目宝井馬琴の墓は、東京都文京区の吉祥寺にある。墓には「大岩家之墓」とあり、左側面に墓誌が刻む。右側の壁には彼の業績を偲ぶ顕彰碑が設置されている。戒名は「文徳院一公琴談居士」


by oku-taka | 2019-03-31 20:34 | 演芸人 | Comments(0)