人気ブログランキング | 話題のタグを見る

服部富子(1917~1981)

服部富子(1917~1981)_f0368298_22594831.jpg

服部 富子(はっとり とみこ)

歌手
1917年(大正6年)~1981年(昭和56年)


1917年(大正6年)、大阪府大阪市東住吉区(現在の平野区)で生まれる。芸事好きの家族の影響で幼少期から歌手を志す。1931年(昭和6年)、宝塚歌劇団に入団。「水間扶美子」の芸名で初舞台を踏む。1934年(昭和9年)には星組東宝公演『太平洋行進曲』『アルルの女』『奴道成寺』『ウィーナー・メーデル』に出演した。1938年(昭和13年)、宝塚を退団し歌手に転向。芸名を本名に戻し、テイチクレコードから『軍港の乙女』でデビュー。同年、『満州娘』が大ヒット。その後、『北京娘』『興亜行進曲』等を発表。女優としても活躍し、日活映画『鴛鴦歌合戦』、東宝映画『支那の夜』『孫悟空』などにも出演した。1948年(昭和23年)、兄・服部良一とともにビクターへ移籍。『僕は特急の機関士で』をヒットさせ、紅白歌合戦にも出場したが、徐々にフェードアウトし、その後はスナックを経営した。昭和40年代には折からの懐メロブームに乗り、テレビ東京系の歌謡番組『なつかしの歌声』に出演。往年の歌声を披露した。1970年(昭和45年)、「良一・富子のコンサート」を開催。1981年(昭和56年)5月17日、肝硬変で死去。享年64。葬式の喪主は服部良一が務めた。


服部富子(1917~1981)_f0368298_21211051.jpg

チャーミングな愛らしい笑顔が特徴的だった服部富子。幼い頃から好きだった歌では大陸歌謡の傑作『満州娘』を大ヒットさせ、宝塚で身に付けた演技力で『鴛鴦歌合戦』の香川屋の娘・お富を可憐に演じた。晩年は懐メロブームに乗ってテレ東の歌番組によく出ていたが、スナックを経営していたせいか顔が浮腫み、体もふくよかになっていた。それでも童顔な顔立ちは健在で、歌声も衰えるどころか味わいが増していた。小夜福子の『小雨の丘』をカヴァーした映像を見たが、本家よりもハマっていたように思う。歌を愛し、何より兄の服部良一を愛した服部富子。生前「ベートーベンは日本にもいるわネ、兄ちゃんよ。ニチベン、わたしの兄ちゃんは日本のベートーベン、ニチベン」と語った彼女の墓は、東京都杉並区の築地本願寺和田堀廟所にある。墓には象形文字で「服部家之墓」と彫られている。墓誌はないが、生涯独身だった富子は兄・良一と共に眠っているという。
by oku-taka | 2019-03-09 23:22 | 音楽家 | Comments(0)