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犬養道子(1921~2017)

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犬養 道子(いぬかい みちこ)

評論家
1921年(大正10年)~2017年(平成29年)


1921年(大正10年)、東京都新宿区四谷に犬養健・仲子夫妻の長女として生まれた。父・健は犬養毅の嗣子で親子2代の政治家であり、母方の曾祖父が長与専斎と後藤象二郎である。1932年(昭和7年)、軍部の独走に異を唱えていた祖父の犬養首相を海軍将校たちが殺害(五・一五事件)。総理の孫として首相官邸で暮らしていた道子は、暗殺された祖父の最期を見届けた一人となった。太平洋戦争が始まると一家は国賊と呼ばれ、激動する時代の中でカトリックの洗礼を受けた。戦後は女子学習院を経て津田英学塾(現在の津田塾大学)に入学したが、1948年(昭和23年)に中退してアメリカ合衆国やフランスに留学。現地の大学で哲学や聖書学などを学ぶ。卒業後はヨーロッパ各国に滞在していたが、1952年(昭和27年)にネーデルランド放送局の客員となる。1957年(昭和32年)、帰国。NHKのニュース解説員となる。1958年(昭和33年)、欧米歴訪の体験を描いた『お嬢さん放浪記』を発表。独自の比較文化論を展開し、同作はベストセラーとなった。以後、国際派の才女として注目を浴び、『私のアメリカ』『私のヨーロッパ』などのエッセイ、『花々と星々と』『ある歴史の娘』などの自伝、『旧約聖書物語』『新約聖書物語』『聖書の天地』など聖書に関する作品を発表。また、評論家としても社会、文化、女性など幅広いテーマで活動を行った。1959年(昭和34年)、『婦人公論』誌の特派員として渡欧。1964年(昭和39年)、ハーバード大学ラドクリフ研究室の研究員となる。1970年代以降はジュネーヴ空港に近いフランスの街フェルネ=ヴォルテールに住み、ライフワークの聖書研究につとめた。1979年(昭和54年)、テレビに映し出されたインドシナ難民の姿に衝撃を受け、難民救済のボランティアに参加。以降は世界の難民問題に私財を投じて取り組み、世界の難民キャンプや紛争地に単身で赴いて活動した。また、環境破壊抑止を目指した「みどり一本」運動を提唱し、難民たちが燃料として木々を伐採したり、家畜が流入したりして砂漠化した土地へ植樹を始めた。1986年(昭和61年)、著作の印税と東京の自宅を売却したお金で難民のための奨学基金「犬養基金」を設立。イエズス会の難民支援組織「JRS」と連携しながら、息の長い難民支援事業をインドシナ、アフリカ、ボスニア、クロアチア、中東などの世界各地で展開した。1989年(平成元年)、『国境線上で考える』で毎日出版文化賞を受賞。1990年代後半には日本国内での活動強化のため帰国。麗澤大学など多数の大学で教壇にたち、講演も多くこなした。2006年(平成18年)、『こころの座標軸』を刊行。80歳代の犬養から若者たちへ語りかける情熱あふれる内容で注目された。晩年は神奈川県秦野市内の施設に入所し、年に一度のペースで難民キャンプを訪れていた。2017年(平成29年)7月24日午前5時28分、老衰のため神奈川県秦野市内の施設で死去。享年96。


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生涯をかけて難民救済のための活動を続けた犬養道子。かつて犬養毅の孫として持て囃され、インテリ文筆家として多くのメディアで活躍していた彼女が、とあるテレビ番組で観たインドシナ難民の姿に衝撃を受け、難民救済のボランティアに身を投じたのが58歳のとき。それまで欧米を持ち上げ日本を叩く典型的な国際人であったが、一転して世界の飢餓や難民救済に尽力する活動家へと変貌を遂げた。「悪に対して憎しみを持ったら憎しみが連鎖していく。憎しみの連鎖を断ち切る1本のマッチに私ははなりたい」と語っていた犬養道子の墓は、東京都港区の青山霊園にある。墓には「犬養毅之墓」とあり、左側面に墓誌が刻む。

by oku-taka | 2019-02-24 18:05 | 評論家・運動家 | Comments(0)