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前野曜子(1948~1988)

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前野 曜子(まえの ようこ)

ミュージシャン
1948年(昭和23年)~1988年(昭和63年)


1948年(昭和23年)、東京都中央区銀座に生まれる。 本名は、前野 耀子(まえの ようこ)。1963年(昭和38年)、川村高等学校に進学。1965年(昭和40年)に同校を中途退学し、1967年(昭和42年)に第53期生として宝塚歌劇団へ入団。同年、弓 千晶の名で星組公演『世界はひとつ』で初舞台を踏む。1968年(昭和43年)、体調不良により10月30日付で同劇団を退団。東京に戻り、ディスコ「赤坂MUGEN」でゴーゴーガールを務める。1968年(昭和43年)、宝塚時代に知り合った亀渕友香に誘われ「リッキー&960ポンド」に参加。西丘 有理と名乗り、翌年には『ワッハッハ』がヒットとなる。1970年(昭和45年)、同じ事務所に所属する「ペドロ&カプリシャス」にヴォーカルとして参加。1971年(昭和46年)、『別れの朝』が大ヒット。1972年(昭和47年)、人気絶頂だったにも関わらず、契約期間を残してペドロ&カプリシャスを脱退。当時の週刊誌にはアメリカ人(黒人)と恋に落ちたと書かれたが、後に本人は川村学園中等部時代から師事していた水島早苗の「ジャズを知るにはアフリカに行って勉強しなくちゃ」という言葉に触発されたからと語っている。その後、単身渡米し、ロサンゼルスに住んでいた亀渕友香と暮らす。1973年(昭和48年)、帰国し、『夜はひとりぼっち』を発表。事務所に所属せず、マネージャーもつけずにソロとしてライブハウスなどで歌手活動を行う。1976年(昭和51年)、古巣の「リッキー&960ポンド」に復帰。1977年(昭和52年)にはアルバム『ABRAZAME』を録音し、『別れの朝』を再び吹き込んだが、1979年(昭和54年)に再び脱退。同年、映画『蘇える金狼』の主題歌『蘇える金狼のテーマ』をリリース。同年末には雑誌『平凡パンチ』でセミヌードを公開する。1980年(昭和55年)、映画『野獣死すべし』にセリフのない役で出演。同年、ポーランドで開催された「ソポト国際音楽祭」に参加し、大衆賞を受賞。1982年(昭和57年)、テレビアニメ『スペースコブラ』の主題歌を担当。自己のバンドを組みリサイタルを行うなど歌唱力は高く評価されたが、アルコール依存症に陥ったことでステージに穴を空けることが多くなっていく。その後、病状が深刻化し、都内の病院に入院。闘病生活を送っていたが、1988年(昭和63年)7月31日、心不全で死去。享年40。訃報については報道されることなく、3年後の雑誌『女性自身』1991年4月23日号によって報じられた。


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カーリーヘアーとソウルフルな歌声が特徴的だった前野曜子。彼女は歌の上手さは折り紙つきながらも、生来病気がちなために仕事が思うようにいかず、やがて人も仕事も離れていき、失意のままこの世を去ったというイメージがどうしても強い。確かな歌唱力を持っていても正当に評価されない、アメリカに憧れて単身渡米、持病を抱え若くして死去という点は朱里エイコ、しばたはつみを連想させる。数奇な運命を辿った実力派シンガー前野曜子の墓は、東京都新宿区の真英寺にある。墓には「前野家之墓」とあるのみで墓誌はない。

by oku-taka | 2019-02-16 20:56 | 音楽家 | Comments(0)