人気ブログランキング | 話題のタグを見る

高杉早苗(1918~1995)

高杉早苗(1918~1995)_f0368298_17403997.jpg

高杉 早苗(たかすぎ さなえ)

女優
1918年(大正7年)~1995年(平成7年)


1918年(大正7年)、東京市浅草区馬道町に生まれる。本名は喜熨斗 弘子(きのし ひろこ)。旧姓は清水。生家は商事会社を営み裕福な家庭で育ったが後に没落。1933年(昭和8年)、立正高女(現在の東京立正高等学校)を卒業。家計を助けるため新橋ホールでダンサーとして活躍した。その後、ミスコンテストで3位になり、その美貌を見込んでスカウトされ、1934年(昭和9年)松竹に入社。同年、『隣りの八重ちゃん』でヒロインを演じた逢初夢子の級友役でデビューを果たすと、一躍人気女優となる。出演3作目『山は夕焼け』ではヒロインを演じ、明るく爽やかでそれまでの日本映画の女優にはなかった大柄でスラリとした体型は当時の男性を虜にした。その人気は、同時期に活躍した桑野通子と競い合うことになり、ファンを二分した。1936年(昭和11年)には小津安二郎監督『大学よいとこ』、島津保次郎監督『家族会議』『朱と緑』と名匠の監督作品に多数出演。女優としての実力を発揮し、その演技は高く評価された。しかし、1938年(昭和13年)の作品『頑張り娘』出演後に突如引退。その後、三代目市川段四郎との結婚を発表した。夫となった段四郎とは遠戚にあたり、高杉の母が舞台鑑賞後に高杉と共に市川の楽屋を訪ねた際に段四郎が惚れこみ猛アタック。澤潟屋の若手として段四郎は期待されていただけに紆余曲折あったものの、舅・二代目市川猿之助の意向であった女優を引退することで結婚へとこぎつけた。以後は梨園の妻として夫を支えたが、戦後すぐ疎開先から東京への転居費用等で借金がかさんだことから、梨園の妻としての行動に支障が出ない範囲という条件付きで芸能界にカムバック。1948年(昭和23年)、映画『夜の女たち』で女優復帰を果たした。以降、梨園の奥方として動く傍ら、脇役として多くの映画やドラマに出演した。しかし、1962年(昭和37年) に夫・段四郎が病に倒れる。翌年には舅・市川猿翁、夫・市川段四郎を相次いで亡くす不運に見舞われる。以後、女優として活動しながらも、息子の四代目市川猿之助(後の二代目市川猿翁)、初代市川亀治郎(後の四代目市川段四郎)を裏から支えて、澤潟屋の発展に力を注いだ。1995年(平成7年)11月26日、心筋梗塞のため死去。享年77。


高杉早苗(1918~1995)_f0368298_17403938.jpg

高杉早苗(1918~1995)_f0368298_17403844.jpg

松竹のヴァンプ女優として桑野通子と人気を二分した映画スター・高杉早苗。その日本人離れしたスタイルとルックスで世の男性を虜にし、モダンガールの代表格であった。戦後は梨園の妻として澤潟屋を陰で支えたが、早すぎる夫の死、息子の離婚と年上の舞踊家との不倫など、本当に苦労苦労で死んでいったように思えてならない。数年前に放送された『ファミリーヒストリー』で、息子の四代目段四郎は高杉のことを「母は天性の楽天家でしたから、それでやってこられたわけです」と語っていたが、その心中は如何ほどであったのだろうか。往年の映画女優・高杉早苗の墓は、東京都台東区の寛永寺第二霊園にある。墓には「喜熨斗累世墓」とあり、墓誌はない。戒名は「祥耀院苗瑛妙弘大姉」。

by oku-taka | 2019-02-09 19:16 | 俳優・女優 | Comments(0)