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中山大三郎(1941~2005)

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中山 大三郎(なかやま だいざぶろう)

作詞家・作曲家
1941年(昭和16年)~2005年(平成17年)

1941年(昭和16年)、宮崎県北諸県郡高崎町(現在の都城市)に生まれる。宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校卒業後、法政大学に進学。在学中に作詞家の星野哲郎に師事し、1962年(昭和37年)『南国の春』で作詞家としてデビュー。その後、クラウンレコードの専属作曲家として活動を始め、1967年(昭和42年)水沢圭吾の名で補作詞を担当した『新潟ブルース』が初のヒットとなる。その後、本名に戻し、フリーに転じる。1977年(昭和52年)、増位山太志郎へ提供した『男の背中』が大ヒット。以降、『しらけ鳥音頭』(歌:小松政夫、スージー・白鳥/1977年)、『味噌汁の詩』(歌:千昌夫/1980年)といったコミックソングから、『無錫旅情』(歌:尾形大作/1986年)、『済州エア・ポート』(歌:半田浩二/1988年)などの大陸物でヒットを飛ばす。また、日本テレビ系『ルックルックこんにちは』の人気コーナー「ドキュメント女ののど自慢」に審査員として出演。これを皮きりに、テレビのワイドショーのコメンテーターとしても活躍した。1986年(昭和61年)、『ゆうすげの恋』(森進一)で第19回日本作詞大賞を受賞。1987年(昭和62年)には島倉千代子の半生を投影させた『人生いろいろ』を発表。当初の曲名は「笑いばなしにして」でB面の予定だった同曲で第20回日本作詞大賞を受賞し、史上二人目の連続大賞受賞となった。1989年(平成元年)、日本作詞家協会の常務理事に就任。1996年(平成8年)、天童よしみに提供した『珍島物語』がミリオンセラーを記録。演歌の売り上げが著しく低下していた時代の中で異例ともいえる大ヒットとなった。1999年(平成11年)、癌であることを公表。2000年(平成12年)には声帯を除去したが、最後まで創作活動への意欲を見せていた。2005年(平成17年)4月7日午前0時3分、中咽頭癌のため東京都港区の病院で死去。享年64。


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「大ちゃん先生」の愛称で親しまれた中山大三郎。『夜の銀狐』『男の背中』といったムード歌謡から、『しらけ鳥音頭』『ルパン音頭』などのコミックソング、そして『無錫旅情』『珍島物語』の大陸シリーズと、実に幅広い作風を展開した。特に『無錫旅情』の徐々に壮大になっていくメロディーラインには何度聴いても心揺さぶられる。偉大なヒットメーカーの一人でありながら実に穏やかな人で、『ルックルックこんにちは』のコーナー「ドキュメント女ののど自慢」でいつもニコニコしていた姿が印象的だった。優しくて包容力のあった中山大三郎の墓は、東京都港区の正満寺にある。墓には直筆による「歌っていいな…中山大三郎」が彫られており、下に簡単な略歴と代表作の碑がある。なお、同墓には弟子で作曲家のうすいよしのりも埋葬されているようであり、筒状の彼の墓が中山の左横にひっそりと建てられている。


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by oku-taka | 2019-02-02 17:44 | 音楽家 | Comments(0)