2018年 12月 29日
川喜多雄二(1923~2011)

川喜多 雄二(かわきた ゆうじ)
映画俳優
1923年(大正11年)~2011年(平成23年)
1923年(大正11年)、中華民国奉天省奉天市(現在の遼寧省瀋陽市)に生まれる。本名は、脇 猷二(わき ゆうじ)。父が満州鉄道病院の歯科医をしていた関係で、自身も東京歯科大学に進学。1947年(昭和22年)に卒業し、父の後を継いで歯科医を開業した。その後、画家の岩田専太郎を治療した縁で岩田の絵のモデルになり、それが発展して俳優を志すようになる。1950年(昭和25年)、岩田の紹介で東横映画に演技研究生として入所。青柳プロを経て新東宝に入社した。1951年(昭和26年)、市川崑監督の『夜来香』で俳優デビュー。芸名は市川が監督した『三百六十五夜』の主人公・川北小六にちなんで「川喜多小六」とした。1952年(昭和27年)、松竹に移籍し「川喜多雄二」に改名。1952年(昭和27年)、『パクさんの艶聞』で初主演。以後、メロドラマや明朗青春もので活躍した。1953年(昭和28年)、『君の名は』で岸恵子扮する真知子の夫・勝則という憎まれ役で出演し、一躍有名となる。その後、1950年代の松竹映画に多く出演し、佐田啓二、高橋貞二らとともに『新・松竹三羽烏』と称された。1957年(昭和32年)、『おもかげは遥かなり』を最後に松竹を退社してフリーとなる。テレビにも進出し、『鉄人28号(実写版)』(1960年)、『検事』(1961~1963年)などに出演したが、1960年代後半に俳優を引退し、歯科医に戻った。2011年(平成23年)5月9日、死去。享年87。その訃報は『東京歯科大学・同窓会会報第382号』にてひっそりと伝えられ、世間には2年後に明らかとなった。



歯科医から俳優に転身という異色の映画スター、川喜多雄二。鶴田浩二が松竹を離れた後、その代わりとして「新三羽烏」として売り出され、松竹メロドラマの黄金期を支えた。代表作『君の名は』では、岸恵子の意地悪亭主を演じて一躍有名となり、1955年の『この世の花』シリーズでは一転してヒロインの淡路恵子と結ばれぬ悲恋の男を演じた。映画人気衰退と共に俳優活動を停止し、市井の人として歯科医に戻った川喜多雄二。その訃報はかつて在籍していた大学の同窓会誌にひっそり載せられたのみであり、世間に明るみになったのはその2年後、2ちゃんねるの「長生きした俳優」というスレッドであった。川喜多雄二の墓は、東京都港区の青山霊園にある。インド哲学「空・風・火・水・地」の五大要素が刻まれた五輪塔には「脇家先祖代々之霊位」とあり、その両側面に戒名が彫られている。墓誌がないため川喜多の戒名は判らないが、建立者として川喜多の本名「脇 猷二」の名が刻まれている。

