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ムッシュかまやつ(1939~2017)

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ムッシュかまやつ

ミュージシャン
1939年(昭和14年)~2017年(平成29年)


1939年(昭和14年)、ジャズシンガーのティーブ・釜萢の長男として東京府(現在の東京都)に生まれる。本名は、釜萢 弘(かまやつ ひろし)。父の影響で幼少時から音楽に親しみ、青山学院中等部在学時代から本格的に音楽に目覚める。青山学院高等部時代にカントリー&ウェスタン歌手としてデビュー。ミッキー・カーチスらと共にロカビリーや歌謡曲などもこなし、「ワゴンマスター」「サンダーバード」「キャノンボール」などのグループの一員として日劇ウェスタンカーニバルに出演。1960年(昭和35年)、テイチクレコードから『殺し屋のテーマ』でレコードデビュー。また、釜萢ヒロシ名義で『檻の中の野郎たち』(東宝映画)に出演。このように、ロカビリー歌手時代の映画出演の際の東宝や日活の撮影所での交流などで、時代に名を残すスター達と出会う。これらの活動から、松村雄策はかまやつを日本初のロック・ミュージシャンと位置づけている。 1962年(昭和37年)、ザ・スパイダースにゲストボーカルで参加した後、田辺昭知がその才能と人柄を買って正式メンバーとなり、ヴォーカル及びリズムギターを担当。代表曲である『あの時君は若かった』『いつまでもどこまでも』『バン・バン・バン』『ノー・ノー・ボーイ』『フリフリ』『なんとなくなんとなく』などを作曲した。他にも印象的なステージダンスやステージの服装関連といった、ザ・スパイダースの音楽的なアイディアマンとしてグループの中心人物となった。加入時、フランスかぶれだったかまやつが、仏語で男性の敬称を表す「ムッシュ」をよく使っていたことから、次第に周囲が「ムッシュ」と呼ぶようになり、それがかまやつの愛称として定着した。1970年(昭和45年)、初の本格的なソロ・アルバム『ムッシュー/かまやつひろしの世界』を発売。このアルバムは、当時世界的にも珍しかった「一人多重録音」という画期的な方法で制作され、音楽的にも様々なジャンルを融合した実験的な作品となった。その反面、4月に発売されたソロシングル『どうにかなるさ』は、元々ザ・タイガースの岸部修三(現在の一徳)と岸部シロー兄弟のデュオアルバム「Sally & Shiro」のために書き下ろされた曲のセルフカバーだったが、カントリーシンガーとしてのルーツに回帰する意向も反映された。一方、11月にザ・スパイダースを脱退。1970年代初頭のフォークブームに触発され、主導権を奪ったフォークシンガーの吉田拓郎に接近し、吉田作品の『シンシア』、『我が良き友よ』などをレコーディング。特に後者は90万枚を超えるセールスを記録し代表曲となった。また、「ウォッカ・コリンズ」へのゲスト出演や、タワー・オブ・パワーが演奏を務めた『ゴロワーズを吸ったことがあるかい』を発表。テレビアニメ作品『はじめ人間ギャートルズ』のエンディングテーマとなった『やつらの足音のバラード』もよく知られ、同曲は小泉今日子、スガシカオによってカバーされている。しかし、空虚なヒット歌手の座に居心地の悪さを感じたかまやつは、70年代後半からはライブを中心としたマイペースな活動を展開。フュージョン、シティ・ポップ、ニュー・ウェイヴ等、音楽のトレンドに敏感に反応したアルバムも数枚リリースした。並行してテレビドラマ『時間ですよ』や映画『戦国自衛隊』といった映像作品にも出演。1977年(昭和52年)、朝日放送『ハロー・ヤング』の司会を務め、これに出場したレイジーの才能を見出してデビューの誘いをかけた。その後、デビューしたレイジーに楽曲提供もしたが、本来ハードロック志向だったレイジーが所属事務所の意向でベイ・シティ・ローラーズの様なアイドル路線でデビューさせられたことは予想外だったようで、後に「レイジーをあのような形でデビューさせたことを後悔している」と語っている。1980年代以降は若い世代のミュージシャンたちとコラボ企画で交流を深めていった。1986年(昭和61年)、日本を代表するスタジオ・ミュージシャン達を集めたバンド「One Night Stand Brothers」(ギター:今剛、ベース:高水健司、ドラム:島村英二、キーボード:小島良喜、ボーカル・ギター:ムッシュかまやつ)を結成。1989年(平成元年)、活動名を「かまやつひろし」から「ムッシュかまやつ」に変更。1990年代初頭にはアシッド・ジャズブームで『ゴロワーズを吸ったことがあるかい』が再評価され、1994年(平成6年)にバックミュージシャンにブラン・ニュー・ヘヴィーズ、ジェームス・テイラー、D.C.リーなどを起用してロンドンでレコーディングした『Gauloise』を、小山田圭吾が主宰するレコードレーベル・トラットリアから発表。このアルバムで新たに若い層のリスナーを獲得した。1999年(平成11年)、堺正章、井上堯之とともに「ソン・フィルトル」を結成し、シングル『Yei Yei』をリリース。 2002年(平成14年)、小西康陽プロデュースのアルバム『我が名はムッシュ』を発売。松任谷由実、小山田圭吾、ミッキー・カーチスなどがコメントを寄せたり、堺正章との共演曲などが話題を呼んだ。晩年も音楽界の時代の波に乗りながら、あらゆるジャンルの若手ミュージシャンとも積極的に共演し、松任谷由実、伊藤銀次、THE ALFEE、Char、小西康陽、小山田圭吾、カヒミ・カリィ、曽我部恵一など、世代もジャンルも超えた多くの日本人ミュージシャン達から大きな尊敬を受けていた。2009年(平成21年)には、井上順、今井美樹、甲斐名都、堺正章、THE ALFEE、TAROかまやつ、トータス松本、秦基博、一青窈、布袋寅泰、Micro、森山直太朗、森山良子などのゲスト・ミュージシャンとのコラボレイトによるアニバーサリー・アルバム『1939〜MONSIEUR(サンキュー ムッシュ)』を発表。2013年(平成25年)以降は、KenKen、山岸竜之介とのユニット LIFE IS GROOVE としても活動していた。しかし、2015年(平成27年)に膵臓癌を発症。このときは手術をしてすぐに現場復帰となったが、2016年(平成28年)5月の定期検診で肝臓癌が発覚。9月6日、10日に出演予定だったイベントを欠席することと肝臓癌であることが所属事務所から発表された。10月に退院後、12月8日には堺正章の70歳記念ライブに参加。当初は客席後方で観ていたが、堺の呼びかけに応じて登壇。堺と2人で『サマー・ガール』を歌った。がん公表後初の公の場での姿であったが、同時にこれがかまやつ自身最後の公の場での歌唱となった。年明けから入退院を繰り返し、2月に入ってからは一進一退の状態が続いていた。2017年(平成29年)3月1日午後6時5分、膵癌のため東京都内の病院で死去。享年78。かまやつが亡くなる数日前には妻も亡くなっており、かまやつは最期までそのことを知らないままだった。


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『我が良き友よ』で知られるミュージシャン・ムッシュかまやつ。彼は常に音楽の最先端を感じ取り、その潮流に乗って活動してきた。カントリー&ウェスタンから始まり、ロカビリー、グループサウンズ、フォーク、ニューミュージック、ロックと幅広く渡り歩き、どのジャンルにも代表作を1曲生み出しているというのが本当にすごい。生前「ボクは、君たち(若い)世代と話が出来なくなったらおしまい」と語っていたムッシュだが、その「いま何が流行しているのか」を察知する嗅覚の鋭さにただただ感服させられる。これだけ偉大なのに、堺正章から痛烈なイジリをされても、長髪がカツラと言われても怒らないのが何ともムッシュらしい。自分好みのファッションを貫き、自分好みの音楽を追求し続けたムッシュかまやつの墓は、東京都港区の賢崇寺にある。元々釜萢家の墓は小平にあったが、2018年(平成30年)に納骨されるのを機に改葬された。墓には「kamayatsu~keep on~」の文字とともに、ムッシュが作ったザ・スパイダースのヒット曲『なんとなくなんとなく』の譜面と歌詞が彫られている。墓前には愛用していたギターと煙草のレプリカが置かれ、右側に墓誌が建てられている。

by oku-taka | 2018-12-23 00:03 | 音楽家 | Comments(0)