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ティーブ・釜萢(1911~1980)

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ティーブ・釜萢(てぃーぶ・かまやつ)

ジャズ・ミュージシャン
1911年(明治44年)~1980年(昭和50年)


1911年(明治44年)、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス市郊外で洋服店を営む日本人の両親のもと日系アメリカ人2世としてに生まれる。本名は、釜萢 正(かまやつ ただし)。子供の頃から音楽に親しみ、バンジョーやギターなどの楽器を習得し、演奏を行うようになる。その後、日系人のバンド「ショー・トーキアンズ」に加入。しかし、当時のアメリカは世界大恐慌下でアメリカでは日系人には職が得られず、またダンスホールも次々に閉店し、演奏活動もままならない状況であったことから、1937年(昭和12年)に仲間とバンドを組んで来日。日米間を運航する客船のバンドで演奏をした。まもなく仲間は帰国したが、釜萢は残って東京府をベースにジャズシンガーとしても活躍。淡谷のり子のバックバンドをやったり、赤坂のダンスホール「フロリダ」などに出演。中華民国の上海に赴き「上海バンスキング」のモデルとなった店で演奏もしていた。この頃おなじく日系アメリカ2世で、日本に渡ってジャズをやっていた森山久(森山良子の父)と親しくなる。釜萢は日本人女性と結婚したが、それが縁で森山はティーブの妻の妹と結婚し、「妻どうしが姉妹」の義兄弟の関係になる。1941年(昭和16年)、日米開戦となり帰国する術を失う。さらに、戦時中は戦時体制強化のためダンスホールは閉鎖を命じられおり、1942年(昭和17年)には敵性音楽と見做されたジャズの演奏が禁止となるなど不遇の時を過ごす。1944年(昭和19年)、米国籍を捨て日本国籍を取得。その後、日本語がほとんど話せないにも関わらず召集令状が届き、自動車の運転ができたため輸送部隊に配属されて中国戦線に渡った。1945年(昭和20年)に終戦となったが、ティーブは中国で捕虜として収監されてしまい、1947年(昭和22年)に帰還した。帰国後は森山の紹介で「松本伸とニュー・パシフィック・バンド」に入り、シンガー&ギタリストとして駐日連合国軍(主にアメリカ軍)の将校クラブやキャンプ等で演奏活動をする。その後、新橋の第一ホテルをホームグランドに活躍していたダンズバンド「渡辺弘とスターダスターズ」にボーカリストとして加わり、滑らかな英語とギター技術、しゃれっけたっぷりに歌い上げ、人気を博した。後に独立し、本場仕込みのジャズを次々に紹介。同時に「ティーブ釜萢とブルーリボン」としても活躍し、ジャズの黄金時代を築いた。1950年(昭和25年)、日本初のジャズ音楽専門学校である「日本ジャズ学校」を設立。ミッキー・カーチス、平尾昌晃、弘田三枝子、ペギー葉山、日野皓正など戦後の日本音楽界を代表するミュージシャンを多数育て、日本の音楽界に多大な影響を与えた。1961年(昭和36年)、長男のかまやつひろしと東京・大手町のサンケイホールで初の親子共演リサイタルを開催。1970年(昭和45年)にはアルバム『ムッシュー~かまやつひろしの世界』収録の「僕のハートはダン!ダン!」で初の共演レコーディングが実現した。これがきっかけとなり、1971年(昭和46年)に共演アルバム『ファーザー&マッド・サン』を制作。1977年(昭和52年)、1920年代に米国で青春を過ごしたティーブと、1950年代に青春を謳歌した息子の趣味性やライフ・スタイルの違いが巧みに歌いこまれた共演作品『1920 & 1950』を自主制作シングルとしてリリース。1978年(昭和53年)、細野晴臣のアルバム『はらいそ』に参加し、「ジャパニーズ・ルンバ」をレコーディング。1980年(昭和55年)3月10日、死去。享年68。


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戦後の日本にジャズ文化を根付かせたティーブ釜萢。アメリカに生まれながらも日系人であった為に差別され、日本語が話せないのに召集されて中国戦線に送られるなど戦前・戦中は辛酸をなめた。それでも好きなジャズを捨てることなく、それが戦後に大きな武器となった。日本を代表するミュージシャンを多数育て、日本の音楽界に多大な影響を与えたティーブ釜萢の墓は、東京都港区の賢崇寺にある。元々は小平にあったが、2018年(平成30年)に息子のムッシュかまやつが納骨されるのを機に改葬された。墓には「kamayatsu~keep on~」の文字とともに、息子が作ったザ・スパイダースのヒット曲『なんとなくなんとなく』の譜面と歌詞が彫られている。右側には墓誌が建てられている。

by oku-taka | 2018-12-23 00:01 | 音楽家 | Comments(0)