2018年 12月 01日
大瀧詠一(1948~2013)

大瀧 詠一(おおたき えいいち)
ミュージシャン
1948年(昭和23年)~2013年(平成25年)
1948年(昭和23年)、岩手県江刺郡梁川村(現在の奥州市)に生まれる。母子家庭で育ち、母親が教師だったため、小学校で江刺から遠野。中学で遠野から釜石と転校を経験している。小学5年の夏、親戚の家で聴いたコニー・フランシスの『カラーに口紅』(Lipstick On Your Collar) に衝撃を受けて以降、アメリカンポップスに傾倒。中学入学後にはラジオクラブに入り、ラジオを自作し、米軍極東放送 (FEN) やニッポン放送の番組を聴くようになる。間もなくレコード収集を始め、エルヴィス・プレスリーやビーチ・ボーイズなどの音楽を分析的に聴くようになり、独自の研究を深める。また、同時期には小林旭や三橋美智也なども好んで聞いていた。特にクレージーキャッツの植木等が歌う『スーダラ節』には非常に影響を受けた。1964年(昭和39年)、岩手県立花巻北高等学校に入学。下宿で一人暮らしをするが、授業料を全部レコードにつぎ込んでいたため1年で退学させられ、岩手県立釜石南高等学校(現在の岩手県立釜石高等学校)に編入。入学直前、FENでビートルズを知り、以降リバプール・サウンド全般を買いまくっていた。編入後は初めてバンドを組み、「スプレンダーズ」というバンドでドラムを担当。本来はコミックバンドをやりたかったが同志が見つからず、やむなくビートルズタイプのバンドを組んだという。1967年(昭和42年)、同校を卒業と同時に上京。小岩の製鉄会社に就職するも、出社約20日、在籍期間3ヶ月で退職。同年夏に布谷文夫と知り合い、洪栄龍らと共に「タブー」というバンドを結成。ドラムを担当していたが、同年末に解散した。1968年(昭和43年)、早稲田大学第二文学部に入学。布谷を通じて交友があった中田佳彦から細野晴臣を紹介されて意気投合し、その後、大瀧・中田・細野の3人で定期的にポップスの研究会を開く。1969年(昭和44年)、細野が参加していたバンド「エイプリル・フール」の解散直前に、細野と松本隆によって計画されていた新バンド「ヴァレンタイン・ブルー」に加入を要請され受諾。1970年(昭和45年)には「はっぴいえんど」に改名し、アルバム『はっぴいえんど』でレコードデビュー。この時期、「新宿プレイマップ」での座談会(日本語ロック論争)に参加。はっぴいえんど活動中の1971年(昭和46年)にソロ活動を開始し、翌年にはアルバム『大瀧詠一』を発表。はっぴいえんど解散後はソロ活動に移行せず、当時のシンガーソングライターとしては異例であるCMソングの制作と、ごまのはえ、布谷文夫など若手のプロデュースを始める。1974年(昭和49年)、自らが作詞・作曲・編曲・プロデュース・エンジニア・原盤制作・原盤管理などをこなすプライベートレーベル「ナイアガラ・レーベル」を設立し、エレックレコードと契約。1975年(昭和50年)、はっぴいえんど解散後初となるソロアルバム『NIAGARA MOON』を発表。また、ラジオ関東(現在のアール・エフ・ラジオ日本)でDJをつとめる番組『ゴー・ゴー・ナイアガラ』を開始し、学生層のコアなファンを獲得するなど、精力的にソロ活動を開始するが、その矢先、エレックレコードが事業縮小し、契約破棄される。1976年(昭和51年)、コロムビアレコードにナイアガラごと移籍。その際の契約は福生45スタジオに当時最新鋭の16チャンネルのマルチトラックレコーダーを提供してもらう代わりに、3年でアルバム12枚を製作するという内容だった。 『NIAGARA TRIANGLE Vol.1』『GO! GO! NIAGARA』『NIAGARA CM SPECIAL Vol.1』はヒットを記録したものの、趣味性の強すぎる楽曲が災いし、以降作品の完成度とはうらはらに売り上げが低迷。1978年(昭和53年)、『LET'S ONDO AGAIN』を最後にコロムビアとの契約を解消。福生45スタジオの機材も売却。ナイアガラレコードも休業状態に陥る。以降レコードの販売権の契約が残っている2年間、ソロ作が発表できない状況に陥る。1979年(昭和54年)からプロデュース業を手掛け、1980年(昭和55年)にプロデュースの仕事で出入りすることが多かったCBSソニーに移籍。旧友である松本隆と組んで、ナイアガラサウンドの集大成となる作品のレコーディングに取り掛かる。このレコーディングの最中に、女性向きと考えた『さらばシベリア鉄道』を太田裕美に提供。同曲は大瀧の曲で初めてのヒットシングルになった。1981年(昭和56年)、『A LONG VACATION』を発表。当初は売り上げが低迷していたが、徐々にセールスを伸ばし、夏にはチャート2位を記録。「第23回日本レコード大賞・ベストアルバム賞」を受賞した。以降、精力的に楽曲提供・プロデュースを続け、松田聖子のシングル『風立ちぬ』で初のチャート1位を記録。うなずきトリオのシングル『うなずきマーチ』では大滝作詞曲で初のチャート入りを果たすなど、多くのアイドルソング・コミックソングなどを手掛け一躍名声が高まる。また森進一の『冬のリヴィエラ』や小林旭の『熱き心に』など歌謡曲系のジャンルにも進出を果たす。しかし、独自の音楽理論を構築していったことなどが影響し、オリジナル作品をコンスタントに発表していく意味を見いだせなくなっていき、1984年(昭和59年)のアルバム『EACH TIME』制作時に歌手活動の休止を決断。1985年(昭和60年)6月のはっぴいえんど再結成ライブを最後に人前で歌うことはほとんどなくなり、同年11月にシングルカットした『フィヨルドの少女』を最後に新譜の発表は長い間途絶えることになる。プロデューサー・作曲家としては80年代後半も引き続き活動し、1986年(昭和61年)には自身が少年期からのファンであるクレージーキャッツの30周年記念作を手掛け、新曲『実年行進曲』を作曲・編曲、五万節のリメイク『新五万節』を編曲(クレジットでは編々曲)した。また、ナイアガラレコードの旧譜のリマスタリングや、大瀧が影響を受けた先人の音源復刻「LEGENDARY REMASTER SERIES」の監修やライナー執筆、ラジオの特別番組のDJなどを手掛ける。1988年(昭和63年)に小泉今日子へ提供した『快盗ルビイ』以降作曲から遠ざかっていたが、1994年(平成6年)からソニーのOo Recordsに取締役兼プロデューサーとして参加。1995年(平成7年)に渡辺満里奈がリリースした『うれしい予感』が作曲家としての復帰作となる。 1997年(平成9年)には12年ぶりとなる新曲『幸せな結末』を発表。月9ドラマ『ラブジェネレーション』の主題歌としてミリオンセラーを達成。これに続き、市川実和子のシングル・アルバムのプロデュースも手掛ける。2000年代に入ると再び旧譜のリマスタリング、音源復刻監修を再開。また昔の自分のラジオ番組をリマスターして再放送したり、昔の自分のラジオ番組の新シリーズを開始するなど、独自の試みを行うようになった。2003年(平成15年)には6年ぶりのシングル『恋するふたり』を発表。月9ドラマ『東京ラブ・シネマ』主題歌としてヒットする。また、竹内まりやのアルバム『Longtime Favorites』でフランク・シナトラ & ナンシー・シナトラの「恋のひとこと」(SOMETHING STUPID) をデュエット。これらが最後の作品発表となった。2004年(平成16年)、自宅にマスタリング用の器材を導入し、福生45スタジオが復活。2005年(平成17年)から最後のリマスターとしてナイアガラ旧譜の30周年アニバーサリー盤の発表を順次開始。2014年(平成26年)3月には最終作となる『EACH TIME』の発表を控えていた。また、ラジオ『大瀧詠一のアメリカン・ポップス伝』も佳境にさしかかっており、2014年(平成26年)春もしくは夏に完結し、本命であるイギリスのポップス伝に移行するものと目されていた。しかし、2013年(平成25年)12月30日17時30分頃、東京都西多摩郡瑞穂町の自宅で家族と夕食後のデザートにリンゴを食べている時に倒れ、救急搬送。警視庁福生警察署などによると、家族は「林檎を食べていてのどに詰まらせた」と説明していたという。救急隊がかけつけた時は既に心肺停止状態であり、病院に搬送後、19時頃に死亡が確認された。死因は解離性動脈瘤とされた。享年65。 2014年(平成26年)3月21日に「お別れの会」が執り行われ、大瀧の妻から最期の言葉が「ママありがとう」だったことが明かされた。その直後に意識を失い、チアノーゼも起こし、救急隊の到着まで心臓マッサージを続けた(大瀧の妻は看護師だった)が、意識を取り戻すことがなくそのまま死亡したと臨終の状況が明かされている。



ポップス界の巨人・大瀧詠一。1970年代の音楽界に颯爽と登場し、自ら歌うのみならず多くの歌手に楽曲を提供。今を生きるミュージシャンたちに多大な影響を与えた。その音楽は「大瀧節」と呼ばれるほど特徴的であり、そのほとんどが転調だらけの壮大なメロディーラインで、作品を聴けばすぐに大瀧詠一が作曲したとわかる楽曲ばかり。晩年はメディアに登場せず、楽曲制作とラジオパーソナリティーのみの活動だったことから「福生の仙人」と呼ばれた大瀧詠一。2013年末に突如としてこの世を去った音楽家の墓は、東京都羽村市の富士見霊園にある。ミュージックボックスを模した墓には、大瀧が運営していたレーベル「ナイアガラ」のロゴとレコードが備え付けられている。線香置きの左手には大瀧の手形が設置されている。

