2018年 11月 17日
田河水泡(1899~1989)
田河 水泡(たがわ すいほう)
漫画家
1899年(明治32年)~1989年(平成元年)
1899年(明治32年)、東京府東京市本所区本所林町(現在の東京都墨田区立川)に生まれる。本名は、高見沢 仲太郎(たかみざわ なかたろう)。出生直後に母親が亡くなり、父親が再婚するために、子供のいなかった伯父夫婦の元で育てられる。この伯父が中国画や庭いじりを愛好していたことから、その影響で絵筆を取るようになる。 しかし、再婚した父親が数年後に亡くなり、小学5年生の時には育ての親である伯父も亡くなると、一転して生活に困窮するようになり、深川区立臨海尋常小学校(現在の江東区立臨海小学校)を卒業後は働きに出ざるを得なくなり、薬屋の店員やメリヤス工場の少年工員として働いた。その後、徴兵され、朝鮮や満州で軍隊生活を送り、1922年(大正11年)に除隊し帰国。帰国後は画家を志し、日本美術学校(現在の日本美術専門学校)に入学。村山知義らが主宰する前衛芸術集団『マヴォ』に参加し、高見沢 路直と名乗っていたものの深入りはせず、1926年(大正15年)に卒業。卒業後は展示装飾の手伝いや広告デザインの仕事でどうにか食いつなぐ売れない絵描き時代を過ごしていたが、もうひとつの夢であった文筆業への進出を試みる。当初は小説を売り込もうと考えていたが、ライバルが多すぎる上に出版社自体も無名の新人は使わないだろうと考え、当時の大衆誌に必ずといっていいほど掲載されていた落語や講談に目を付け、「高沢路亭」というペンネームで書き下ろしの新作落語の執筆に取り掛かる。 それを大日本雄辯會講談社の「面白倶楽部」に持ち込んだところ掲載され、以降講談社の別の雑誌からも依頼が来るようになり、落語作家として売れっ子になる。そうした中で、美術学校卒業という経歴が面白がられ、新作落語に挿絵も描いてほしいという依頼を受けるようになる。1年後には編集者から依頼を受け、新作落語執筆の合間に漫画の執筆に取り掛かる。1929年(昭和4年)、『人造人間』で連載漫画家デビュー。ロボットを主人公としたSF作品であり、日本のロボット漫画のパイオニアともなった。その後、漫画の発表舞台を一般雑誌から子供が読む雑誌(婦人向け雑誌も含む)に移し、『目玉のチビちゃん』で初の子供向け連載を開始。漫画家としてのペンネームは、当初は本名の高見澤をもじった田川水泡(たかみざわ)だったが、1930年(昭和5年)には田河水泡(たかみざわ)に変更した。しかし、変則的な読みのせいか、いわゆる誤植に悩まされることになり、当の漫画自体の作者名の部分でさえ「たがわ・すいほう」「たがわ・みずあわ」とルビを振られる事が多かった。当初田河は自筆サイン(おたまじゃくしマーク)にわざわざMIZAWAと言葉を添えるなど対応していたが、1932年(昭和7年)頃には自らも「タガワスイホウ」と書くようになり、徐々に「たがわ・すいほう」として定着していった。その前年の1931年(昭和6年)、雑誌「少年倶楽部」に『のらくろ二等卒』を発表。『のらくろ』の執筆のきっかけは、結婚後犬を飼い始めた事により、昔写生中に見た陽気な真っ黒な犬を思い出し、あの犬が今どうなっているか気になったので描いてみたというものである。設定を軍隊にすることにより、自らの徴兵時代を反映させる事が可能になり、独特の世界観を作り上げていった同作は、主人公の階級が上がるたびにタイトルが変わっていくという実験的な作品でもあったが、爆発的な人気を獲得。戦前としては異例の長期連載となった。また、のらくろグッズが市場に溢れることになり、日本で初めて漫画のキャラクターが商業的に確立した作品となった。同作は1941年(昭和16年)に内務省より不謹慎との批判が出て打ち切りとなったが、その影響力は大きく、1958年(昭和33年)から雑誌「丸」で連載が復活。のらくろの執筆を再開する一方で、落語の執筆も再開した。その後は銅版画制作や滑稽画の研究を続け、『滑稽の構造』『滑稽の研究』といった漫画以外の書籍が増え、文化人的な存在へと変わっていった。1969年(昭和44年)、紫綬褒章を受章。1987年(昭和62年)、勲四等旭日小授章を受章。1989年(平成元年)12月12日、肝臓癌のため北里病院にて死去。享年90。
昭和10年代に一大センセーションを巻き起こした漫画『のらくろ』の生みの親である田河水泡。漫画としては初のキャラクターグッズを生み出し、長谷川町子、滝田ゆうを輩出するなど、漫画界に残した功績は計り知れない。生前、自身の生い立ちと重ね合わせ「借りてしか読めない少年を励ましてやろうと『のらくろ』を構想した」と語った田河水泡。日本における物語漫画の草分け的存在だった漫画家の墓は、東京都府中市の多磨霊園にある。洋形の墓には「高見澤家墓」とあり、左側に墓誌が建つ。また、墓所内には『のらくろ』の置物が二対ある。