2018年 10月 16日
金子信雄(1923~1995)
金子 信雄(かねこ のぶお)
俳優
1923年(大正12年)~1995年(平成7年)
1923年(大正12年)、東京市下谷区(現在の東京都台東区)に生まれる。小学校1年の時から結核を患っており、20歳まで闘病生活を送った。京華学園卒業後の1943年(昭和18年)、文学座所属俳優として芸能界入りする。1946年(昭和21年)、成瀬巳喜男監督の『浦島太郎の後裔』で映画デビュー。1952年(昭和27年)、演劇観の違いから文学座を退団し、木村功らと青年俳優クラブを結成した。しかし、青俳も脱退し、 1966年(昭和41年)に妻の丹阿彌谷津子と新演劇人クラブ・マールイを結成し、その主宰となる。その間、数多くの映画やテレビドラマに出演。中でも、日活全盛期のアクション映画・東映の任侠映画・やくざ映画では人間臭い悪役として名を馳せた。俳優業以外でも料理研究をライフワークとしており、荻窪にあるフランス料理店「牡丹亭」のオーナーでもあった。1987年(昭和62年)から、朝日放送(ABCテレビ)で自ら考案した料理を披露する番組『金子信雄の楽しい夕食』がスタート。東ちづるなどアシスタントとの絡みが話題を呼んだ。同番組で新境地を開拓した金子は、番組で披露したレシピをまとめた書籍「楽しい夕食シリーズ」が発売されたほか、スポンサーであった「イカリソース」のCMにも出演した。1994年11月頃に体調を崩し、銀座セゾン劇場に出演予定であった舞台を降板。1995年(平成7年)1月20日午前11時43分、細菌性敗血症のため東京都千代田区の病院で死去。享年71。
日本の映画史きってのクセモノ悪役、その名を金子信雄。スキンヘッドに甲高い声、小心者でズル賢い悪役をコミカルに演じた。特に東映の『仁義なき戦い』シリーズで見せた山守親分は実に憎々しく、同作の人気に大きく貢献したといえよう。また、新たな一面を見せた『金子信雄の楽しい夕食』では、塩は飛ぶ、調味料は入れ忘れ、火加減は適当、肝心の金子は酒を飲んでぐでんぐでん…そうした金子を上手く扱っていたのがアシスタントの東ちづるであり、彼女とのやり取りが人気を呼んだ。東の後任となった大桃美代子はその点がどうにも上手くいかず、番組の打ち切りにつながってしまったのではないか。結果としては最終回になる前に金子が亡くなってしまったが…そんな金子信雄の墓は、東京都八王子市の東京霊園にある。洋形の墓には「金子家」とあり、背面に墓誌が刻まれている。最近訪れた人がないのか、墓は草木が生い茂っていて近づけなかった。