2018年 08月 18日
岸田今日子(1930~2006)
岸田 今日子(きしだ きょうこ)
女優
1930年(昭和5年)~2006年(平成18年)
1930年(昭和5年)、劇作家の岸田國士の次女として東京府豊多摩郡(現在の東京都杉並区)に生まれる。 自由学園在学中に戯曲と舞台美術に興味を抱き、舞台美術家を志す。1949年(昭和24年)、卒業と同時に文学座付属演技研究所に裏方として入り研修生となる。1950年(昭和25年)、『キティ颱風』で主演の杉村春子の娘役オーデションに合格。父の猛反対を受けるも一度だけとの約束で許され、同作で初舞台を踏む。これを機に芝居の虜となった今日子は、「一人前の社会人になってから俳優になれ」との父に従い、一時研究所を離れ、1952年(昭和27年)に文学座へ再入団。『狐憑』で正式にデビューとなった。1953年(昭和28年)、今井正監督の『にごりえ』の端役で映画デビュー。1954年(昭和29年)、同じ文学座に所属する仲谷昇と結婚。1960年(昭和35年)、三島由紀夫演出の『サロメ』で主役に抜擢され、話題を呼ぶ。以降、『バイオリンを持つ裸婦』『黒の悲劇』などの大作に主演し、次代の新劇界を担う新進女優として注目を集める。1961年(昭和36年)、『陽気な幽霊』でテアトロン賞を受賞。映画においても、1962年(昭和37年)『破戒』『秋刀魚の味』の演技で毎日映画コンクール助演女優を受賞。1964年(昭和39年)には『砂の女』でブルーリボン助演女優賞を受賞し、実力派女優としての地位を確立した。1963年(昭和38年)、杉村春子ら文学座幹部の運営に限界を感じていた芥川比呂志、小池朝雄、神山繁、山崎努らと共に文学座を脱退。「劇団雲」の設立に参加した。同年、テレビドラマ『男嫌い』に男をむしる独身四姉妹・越路吹雪、淡路恵子、岸田、横山道代(横山通乃)の三女役で出演。同番組は「カワイ子ちゃん」「かもね」「そのようよ」などの流行語を生み出す大人気ドラマであり、お茶の間での認知度も上がった。私生活では一度妊娠をするも、俳優という休めない仕事の影響もあり流産を経験。二度目の妊娠時は、流産回避のため仕事を断る決意をし、1968年(昭和43年)に長女を出産する。1969年(昭和44年)には娘に自分の仕事を理解してもらおうと、アニメ『ムーミン』のムーミン・トロールの声を担当。世間の子供たちにその声が愛されることになった。1975年(昭和50年)、「演劇集団 円」の設立に参加。『聖女ジャンヌ・ダーク』『じゃじゃ馬ならし』『マクベス』などの翻訳劇に出演する傍ら、別役実、太田省吾、清水邦夫、つかこうへい、平田オリザらの新作劇にも積極的に取り組んだ。一方で、俳優として評判が高く仕事に忙しい生活となっていくにつれ、次第に夫との仲が上手くいかなくなっていき、1978年(昭和53年)に離婚。その後もテレビ・映画出演と並行して舞台女優としても第一線で活躍し、近寄りがたい妖艶さを見せる一方でユーモラスな役もこなす硬軟自在の演技とその存在感は「怪優」と賞された。 また、独特の声と情感豊かな読みでナレーターとしても活躍し、テレビドラマ『大奥』のナレーションやNHKラジオ『私の本棚』の朗読など声の分野でも活躍。著作も多く、エッセイから翻訳など幅広い分野で健筆を振るい、1998年(平成10年)には『妄想の森』で日本エッセイストクラブ賞を受賞した。中でも児童文学、童話については造詣が深く、所属する「演劇集団 円」では、毎年年末にシアターΧで上演され幼児にも楽しめる舞台「円・こどもステージ」の企画を担当していた。こうした幅広い活動が認められ、1994年(平成6年)に紫綬褒章を受章した。1999年(平成11年)、『猫町』『遠い日々の人』で紀伊国屋演劇賞を受賞。晩年には『とんねるずのみなさんのおかげです』にも出演し、当時の若年層にも高い知名度を誇るなど精力的に仕事をこなしていたが、2006年(平成18年)1月下旬に体調を崩し、頭痛などを訴え病院で精密検査を受けたところ脳腫瘍と判明。すでに手術ができない状態で、投薬治療などが行われた。8月に一時危篤状態になったが、持ち直して小康状態が続いた。亡くなる前日も見舞い客と言葉を交わしていたが、12月17日午後3時33分、脳腫瘍による呼吸不全のため東京都内の病院で死去。享年76。
広い額、大きな瞳、厚い唇。ミステリアスで艶めかしい雰囲気、謎めいた台詞まわし、不思議な存在感。何から何まで個性的だった岸田今日子。殊に女優としては純真な役からとぼけた役、悪女まで幅広くこなす抜群の演技力は見る者を惹きつけて離さない。特に映画『この子の七つのお祝いに』での優しげに微笑みながら幼い娘に父親への復讐心を植え付けていくあの母親役はトラウマになりそうなほど怖かった。晩年は『奥さまは魔女』や『法医学教室の事件ファイル』で見せたコメディエンヌっぷり、バラエティーでの親友・吉行和子と冨士真奈美らのユーモラスなやりとりなど、それまでの岸田今日子とは違う面白い一面を見せてくれた。それだけに、76歳での旅立ちは残念であった。個性派の名女優・岸田今日子の墓は、東京都府中市の多磨霊園にある。