2018年 01月 31日
川島なお美(1960~2015)

川島 なお美(かわしま なおみ)
女優・タレント
1960年(昭和35年)~2015年(平成27年)
1960年(昭和35年)、愛知県守山市(現在の名古屋市守山区)に生まれる。1977年(昭和52年)、愛知県立中村高等学校在学中にタレントコンテストのオーディションを受けて準優勝に輝く。その後、開校したばかりの平尾昌晃ミュージックスクールに入り、その素質に惚れ込んだ平尾昌晃に勧められ上京。1979年(昭和54年)、青山学院大学文学部第二英米文学科に入学すると同時に、『シャンペンNo.5 』で歌手としてデビュー。同年、フジテレビでスタートした『アイ・アイゲーム』にアシスタントとして出演。1981年(昭和56年)、フジテレビの第1回キャンペンガールに選ばれ、多くのバラエティー番組に出演し女子大生タレントの先駆けとなる。10月には文化放送が『セイ!ヤング』の後番組としてスタートさせた『ミスDJリクエストパレード』の初代DJに抜擢され、女子大生DJと呼ばれ深夜の顔となる。1982年(昭和57年)、中京テレビ制作(日本テレビ系)『お笑いマンガ道場』の三代目女性レギュラーとなり、プロ顔負けの漫画のうまさと、芸人顔負けのネタの巧みさを披露し、同世代からの知名度と人気を獲得した。しかし、自身のラジオ番組において試験でカンニングをしたことを告白。これを週刊誌が取り上げたことで物議を醸すも、「カンニングなんてみんなしている」と開き直ったことから更に顰蹙を買い、芸能活動を一時謹慎をすることになった。大学からはこの年の単位を全て取り消される処罰を受けたが、翌年には卒業。以降もタレントとして活動を続けていたが、 キャンパス・クィーンのイメージがいつまでも抜けず、出演番組は限られるなど不遇な時代を送る。1985年(昭和60年)、松竹映画『旅芝居行進曲』で映画初出演を果たし、ミュージカル『キュルトヘンの帽子』で舞台にも挑戦するなど、女優への転身を図る。1989年(平成元年)8月8日、9月から明治座で『水戸黄門』の舞台公演でのフィルム撮影の為現場に向かう途中に、ロケバスが崖から転落する事故に遭う。第七頸椎を骨折する大怪我を負い、そのまま復帰することはなく降板に至った。1993年(平成5年)、ヘアヌード写真集「WOMAN」を発売し大反響を呼ぶ。これによりキャンパスクイーンのイメージを払拭させることに成功。1995年(平成7年)には『極道の姐 玲子』で映画初主演を飾った。1996年(平成8年)、テレビ朝日系ドラマ『イグアナの娘』で、娘の姿がイグアナに見えてしまいどうしても愛することができない母親という難しい役に挑戦。一方、NHKの連続テレビ小説『ひまわり』では、明るくおきゃんな性格のヒロインの叔母を演じ、女優としての地位を確立。1997年(平成9年)、ドラマ『失楽園』に出演。TVドラマでありながら性的シーンが多く描かれ、川島もヌードを辞さない演技で話題となった。また、「前回のシャワーシーンでは体が濡れましたけど、今回は心が濡れました」の発言や、ベッドシーンでは「子宮が呼吸できない気がする」との理由で撮影中に前張りを取ることを『週刊ポスト』のインタビューで告白したりと、発言の一つひとつが週刊誌やワイドショーなどで取り上げられ話題となる。中でも、こよなく愛したワインについて「私の体はワインでできている」の一言は彼女の代名詞ともなった。ワインブーム時にはワインタレントとしてバラエティーや教養番組等で活躍し、後にフランスの四大ワイン産地から騎士号を授与された。2009年(平成21年)、恵比寿などに2店舗を構える「Toshi Yoroizuka」(トシ・ヨロイヅカ)のオーナーシェフであり、世界的にも有名なパティシエの鎧塚俊彦と結婚。2013年(平成25年)、8月に受けた健康診断で腫瘍が見つかり、即手術を勧められるも舞台を控えていたことから拒否。代替策としての抗がん剤治療も拒否した。後に腫瘍は肝内胆管癌であることが判明し、「この人になら命を預けられる」と思える医師との出会いを果たして、翌年1月末に手術をうけた。川島の望みどおり、全て腹腔鏡下で行われた手術は12時間にも及んだ。術後の5年生存率が40〜50%であると言われるなか、術後補助化学療法等は行わず、予後の健康維持の管理にビタミンCの点滴、民間療法、悪い気の排除などの施術(エビデンス不明)に取り組み、各媒体に復帰した。しかし、2014年(平成26年)7月に再発が判明。夫に対しては余命1年未満の宣告がなされた。川島は余命を知らされない状態で抗がん剤治療拒否を決断。以降も代替医療に励みながら芸能活動を続けた。2015年(平成27年)9月7日、鎧塚とシャンパンの新商品発表会に出席。このとき、ドレスからのぞく二の腕の細さが際立ち、各方面から体調を心配する声が挙がる。川島は体調を気遣う記者の質問に「元気です」と笑顔で答え、「激やせとか言われてる場合じゃない。2キロのダンベルを持って発声練習をしています」など、翌日から始まる舞台への意気込みも語っていた。しかし、出演中のミュージカル『パルレ〜洗濯〜』を、体調不良を理由に途中降板。9月20日、出演が予定されていたミュージカル『クリスマス・キャロル』(劇団スイセイ・ミュージカル)についても降板が決まった。9月24日19時55分、胆管癌のため死去。享年54。




1980年代に巻き起こった女子大生ブーム。その旗手として、持ち前のキャンディボイスとチャーミングな容姿で世の男性を虜にしたのが川島なお美。その後、全裸になるのも厭わない体当たり演技の女優へと脱皮を図り、新たな路線での地位を確立していった。一方で、大学在学中のカンニング開き直り発言や「私の体はワインでできている」など素っ頓狂な言動が多く、その度にマスコミのネタにされていた。そのおかげか、死してなお“お騒がせタレント”のイメージが拭い去れずにいる。川島なお美といえば、今やワインと犬のイメージが強いかと思う。女優転身後は高級感漂う服装でマスコミの前に登場し、事あるごとに自分のバブリーな私生活っぷりをアピール。時には美食家として料理番組の審査員なんかもしていたが、80年代の彼女を知るものとして「何をそんな金持ちぶってるのか」と白けた目線で見ていた。そうした思いも、今となっては遠い過去になりつつある。何事にも果敢に挑戦し続けたバイタリティあふれる川島なお美の墓は東京都港区の賢崇寺にある。もともとこの寺に墓を持っていたのは、元文部大臣で自民党政調会長も務めた与謝野馨でああり、その後、友人で経営コンサルタントの堀紘一氏(69才)にこの寺の墓地を紹介。そこから、堀の友人で作曲家の三枝成彰、元防衛大臣の森本敏、俳優の奥田瑛二と友人リレーのように紹介され、川島にもその話が舞い込んだという。彼女の墓は夫の鎧塚俊彦によってデザインされ、生年のワイン「ロマネ・コンティ」や女優帽が象られ、下には「YOROIZUKA」の文字と生前飼っていたダックスフントの絵が彫られている。墓誌は裏側に刻まれている。ちょうど訪問した日が偶然にも彼女の祥月命日であり、一周忌法要が終わった後の墓には多くの紅い薔薇の花が供えられていた。戒名は「秋想院彩優美俊大師」

