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青島幸男(1932~2006)

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青島 幸男(あおしま ゆきお)

タレント・政治家
1932年(昭和7年)~2006年(平成18年)


1932年(昭和7年)、東京府東京市日本橋区堀留町(現在の東京都中央区日本橋)に生まれる。東京都立第二十一中学校(現在の東京都立武蔵丘高等学校)に入学するが学制改革に遭い、数か月で新制早稲田大学高等学院に転校。その後、早稲田大学第一商学部に進学。卒業間際に結核を患ったことから就職を断念し、1955年(昭和30年)早稲田大学大学院商学研究科商学専攻修士課程に進学。療養生活を送る中、銀座でバー「カランタス」を経営する。同じ頃、自宅で寝ながらでも出来る仕事を探してNHKの漫才台本コンクールに投稿。当時人気だったリーガル千太・万吉に採用され、これを機に放送作家としての活動を開始。1956年(昭和31年)、大学院を中退。その後は働かず実家で過ごしていたが、1959年(昭和34年)に中学校の同級生だったすぎやまこういちから電話で呼び出され、渡辺プロダクション社長である渡辺晋を紹介される。その後、渡辺プロダクション制作の『おとなの漫画』(フジテレビ)の構成作家として参加。翌年には坂本九が歌った『悲しき60歳』の訳詞で作詞家としての活動もスタートさせた。1961年(昭和36年)、クレイジー・キャッツに提供した『スーダラ節』が社会現象になるほどの大ヒット。以降、多くの楽曲の作詞を担当し、クレイジー・キャッツの黄金期を支える。同年、日本テレビで放送を開始した『シャボン玉ホリデー』の構成を担当。ギャグマンとして自らも出演し、放送作家本人が画面に登場する「青島だァ!」のギャグで一躍有名になった。1962年(昭和37年)、映画「クレージーの花嫁と七人の仲間」に出演し、俳優としても本格的にデビュー。1966年(昭和41年)、製作・脚本・監督・主演の全てを担当した映画『鐘』を発表。同作はカンヌ国際映画祭の国際批評家週間に入選した。1967年(昭和42年)、テレビドラマ『意地悪ばあさん』に主人公・意地悪ばあさん(波多野たつ)役で主演。俳優としての当たり役となった。1968年(昭和43年)、第8回参議院議員通常選挙に全国区から立候補し2位で初当選。同じく当選した石原慎太郎、横山ノックと並びタレント議員のパイオニア的存在となる。一方、1968年(昭和43年)から11年間にわたり『お昼のワイドショー』の司会を務めるなど、引き続き芸能界でも活躍した。1971年(昭和46年)、予算委員会の代表質問において、与党自由民主党に対する財界からの政治献金の多さを批判。首相の佐藤栄作を「もし理想的な政治資金規正法がつくられまして、これが厳密に運用されたら、自民党政府の存立はあり得ないでしょう。そのことはだれも知っておりますし、一番よく御存じなのは、佐藤さん、あなた御自身だと私は思います。だから、これは政治資金規正法の改正というのは私はできないと思います、あなたには。できもしないことを、やるのだやるのだとお約束になるから、ますます国民の不信を買うばかりであると私は信じます。(中略)資本主義国家なんですから、企業からお金を集めてそれを政治資金にするというのは、私は明らかにすればそれでいいと思うのです。できないならできないと明確におっしゃったほうが、一そうはっきりするのです。その代わり、政府はスポンサード・ガバメントであり、総理は財界のちょうちん持ちで男メカケである」と一刀両断し、大いに物議を醸した。自民党は懲罰動議を出したが、委員会決議は見送られた。1974年(昭和49年)、第10回参議院議員通常選挙に出馬。このとき、候補者の青島自らが街頭演説などの選挙運動を一切しないという独自の選挙活動を行い見事当選。青島が有名人気タレントであるからこそ可能な戦法であり、以降の選挙戦でもこのスタイルを貫く。1981年(昭和56年)、小説『人間万事塞翁が丙午』で直木賞を受賞。この作品は本人が直木賞を取ると周囲に公言して執筆し、実際に受賞してみせたものであった。1989年(平成元年)、4期目途中で消費税法案の強行採決に抗議して議員を辞職。直後に予定されていた第15回参議院議員通常選挙に立候補するものの落選した。この行動は、中途辞職による比例代表名簿次点登載者であったいずみたくの繰り上げ当選と、自身の当選によって所属会派の議席増をもたらすことから、「比例代表制度を恣意的に利用するものである」と批判された。1991年(平成3年)、悪性リンパ腫が発見され、当時の全てのレギュラー番組を降板して治療に専念。後に寛解し、1992年(平成4年)の第16回参議院議員通常選挙で国会議員に返り咲いた。当選後は金丸信と東京佐川急便の癒着疑惑について、検察庁が罰金のみの略式起訴で幕引きを図った際に抗議のハンガーストライキを行っている。1995年(平成7年)、参議院議員を辞職し、東京都知事選挙に無所属で出馬することを表明する。当初は、内閣官房副長官として7人の内閣総理大臣を補佐し、自民・自由連合・社会・公明4党からの推薦、新党さきがけからの支持を受けていた石原信雄の当選が有力視され、5選不出馬により勇退する鈴木俊一も事実上、石原を後継に考えていた。しかし青島は、開発が進む臨海副都心地区で開催が予定されていた鈴木肝煎りの世界都市博覧会の中止を公約に掲げ、石原や大前研一、岩國哲人、上田哲ら有力候補を破り、170万0933票を獲得して圧勝する。青島の知事就任後、東京都議会は臨海副都心開発を見直した上、都市博の開催を求める決議を賛成多数で可決する。しかし、青島は「中止補償は金で購いがつく。青島は約束を守れる男かそうでないのか、信義の問題なんだ!」と反対し、公約通り中止を決定した。バブル景気崩壊と失われた20年が始まった時期でのこの決断は、体力の無かった建設業界などに影響を及ぼすことになった。同年5月16日午後7時頃、都庁舎の都知事秘書室で青島宛の小包が爆発する事件が起こり、この小包を開梱していた職員が左手の全ての指と右手親指を失う重傷を負った。後にこの事件はオウム真理教による犯行と断定。オウム真理教の宗教法人の所轄庁が東京都で、宗教法人法による解散請求問題が浮上していたことから都知事の青島が狙われた。都知事としての青島は、都市博中止以外には特に目立った施策はなく、2信組救済の税金投入をしないなど、他の公約を守ることもないまま官僚・役人任せの行政に終始する。このため、徐々に青島に対する批判は高まった。1999年(平成11年)、任期満了で都知事の職を退任。このとき、2期目に立候補をするかどうか直前まで決めておらず、態度表明の記者会見の直前でも都政担当記者はおろか、ナンバー2である副知事でさえも退任するかどうかを知らなかった。「ポスト青島」をめぐる1999年東京都知事選挙では、民主党を離党し衆議院議員を辞職して出馬した鳩山邦夫を後継指名したが、石原慎太郎が当選し、鳩山は次点に終わった。退任後はタレント活動を再開したが、2001年(平成13年)二院クラブ代表に復帰。同年の第19回参議院議員通常選挙に比例区から出馬したが、落選となった。2004年(平成16年)の第20回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から無所属で出馬。ポスターには「選挙にも行かないでがたがた抜かすんじゃねぇこの野郎!!青島だぁ文句あるか!?」の極めて挑発的なフレーズを掲げ、自らがかつて作詞した「どんと節」の選挙版替え歌(セルフパロディ)を陽気に3回も熱唱し、歌の合間に政見を少し話すという極めて異色な政見放送を行うも落選した。青島はこの年の参議院選挙での落選を最後に、事実上政界を引退することとなった。晩年は妻と娘でタレントの青島美幸の3人で穏やかに暮らしていたが、次第に体力が低下。自宅マンションの階段を手すりにつかまって一歩一歩降りる姿や、トラックのミラーにつかまりながらヨロヨロと歩く光景を周辺住民に目撃されていた。2006年(平成18年)11月1日、自宅で貧血を起こし転倒。壁と床の間に頭を強打し8針を縫う怪我を負った。その治療の際の検査で骨髄異形成症候群が判明し入院。12月20日午前9時31分、骨髄異形成症候群のため死去。享年75。没後、旭日重光章が追贈された。


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「青島だァー、何か文句あっか!」でお馴染みの青島幸男。放送作家、作詞家、タレント、作家、政治家…とやることなすことすべてが成功し、元祖マルチタレントの名を欲しいままにした。特に作詞家として『スーダラ節』や『明日があるさ』といった明るいヒット曲を多数手がけ、明日への活力・生きていくことへの希望をもたらす歌を世に送り出した功績はもっと高く評価されるべきであろう。それだけに、迷走ともいえる政治活動で晩節を汚してしまったのが実に残念でならない。政治のことはよくわからない素人目からでも、彼の政治人生は決して輝かしいものでなかったと思う。青島亡き後のワイドショーで政治評論家の三宅久之が「彼は政治家に向いていなかった」と一刀両断していたが、正直共感せざるを得なかった。政治家になったことで野坂昭如、永六輔、矢崎泰久といった友人たちが離れていき、最後は世論の支持をも失い、そのままフェードアウトしてしまったのには寂しさを感じてしまった。思うがままの我が道を精力的に歩んだ男の墓は、東京都荒川区の浄光寺にある。墓には「青島家之墓」とあり、右側面に墓誌が刻む。戒名は「廉正院端風聚幸大居士」


by oku-taka | 2018-01-03 00:05 | テレビ・ラジオ関係者 | Comments(0)