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柳家金語楼(1901~1972)

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柳家 金語楼(やなぎや きんごろう)

落語家・喜劇俳優
1901年(明治34年)~1972年(昭和47年)


1901年(明治34年)、東京府東京市芝区で葉茶屋「山下園」を営んでいた落語家・三遊亭金勝の長男として生まれる。本名は、山下敬太郎(やました けいたろう)。1907年(明治40年)、父が在籍していた2代目三遊亭金馬の演芸団「三遊亭金馬一座」のピンチヒッターとして品川の寄席・古今亭で初舞台。見よう見まねの小噺やかっぽれを演じて好評を博し、これが縁となって2代目三遊亭金馬に入門し、三遊亭金登喜(きんとき)を名乗る。1913年頃には三遊亭小金馬を襲名し、二つ目に昇進。1920年(大正9年)、3代目柳家小さん門下に移り、初代柳家金三の名でで真打に昇進した。1921年(大正10年)、 朝鮮龍山に駐屯していた第20師団歩兵第72連隊に入隊。戦地では突然体中に紫色の斑点が出て、衛戍病院で診察を受けたところ紫斑病と診察される。薬を貰い5日ほどで斑点が消えて完治するが、その薬の副作用で体中がヒリヒリし髪の毛が途端に抜け落ち、後年のトレードマークとなる禿頭が出来た。1922年(大正11年)、除隊。1924年(大正14年)、兄弟子に当たる初代柳家三語楼の門下となり、柳家金語楼に改名。その後、軍隊生活時代の体験をもとにした「噺家の兵隊」が大ヒット。寄席だけでなくラジオや映画にも積極的に出演。1928年(昭和3年)には曾我廼家五九郎に勧められ、五九郎劇『二等兵』に出演。一方で、金語楼ジャズバンドを結成し、ジャズをバックに小噺や踊りを見せるなど、優れた笑いのセンスで一躍時代の寵児となった。しかし、関西の吉本興業との提携やラジオへの出演などが関東の席亭や師である三語楼らとの軋轢を生み、東京の寄席に上がりにくくなったため、1930年(昭和5年)6代目春風亭柳橋らと日本芸術協会(現在の落語芸術協会)を結成した。1935年(昭和10年)自作を映画化した『俺は水兵』で初主演。1936年には出版社「金語楼社」を設立。自ら編集長となって広報誌「笑話」を月刊で出版したが、9か月で資金不足により廃刊となった。1938年(昭和13年)、吉本興業の所属となり、喜劇俳優としての転身を図るべく得意の百面相や禿頭を売りに舞台や映画で活躍。横山エンタツ・花菱アチャコ・柳家三亀松・川田義雄と共に吉本の五大スターと称された。また、吉本と大阪朝日新聞主催の慰問団「わらわし隊」に参加し、敵襲に晒されかねない危険な状況下で、旅順・天津・北京等の戦地の慰問にも積極的に訪れた。1940年(昭和15年)、吉本興業より独立し、金語楼劇団を結成。1942年(昭和17年)、二足のわらじを警視庁が許さなかったことから、やむを得ず落語家の鑑札を返上した。1945年(昭和20年)、知人の軍人が所属していた市ヶ谷の航空本部を訪れたところ空軍所属となり中佐に昇進。飛行場建設特設隊の任務に就いたが、あくまでも肩書だけで主に活動は慰問隊であった。戦後は映画を中心に活動し、年20本以上の喜劇映画に出演。また、有崎勉のペンネームで新作落語を毎月発表し、5代目古今亭今輔や5代目春風亭柳昇らがこれを演じた。さらに、自身も無所属ながら機会があるたびに高座に上がった。1953年(昭和28年)、テレビ開局とともにはじまったNHKのクイズ番組『ジェスチャー』出演。白組キャプテンを番組終了まで続け、お茶の間に親しまれた。1954年(昭和29年)、日本喜劇人協会を結成し、副会長に就任。1956年(昭和31年)、ラジオ東京テレビ『おトラさん』放送開始。自ら脚色と主演を手がけ、当たり役となった。1960年(昭和35年)、徳川夢声と共演した世相風刺番組『こんにゃく問答』でNHK放送文化賞を受賞。1967年(昭和42年)、紫綬褒章を受章。1968年(昭和43年)、榎本健一の後を受け、日本喜劇人協会の会長に就任。晩年は無所属ながらも機会があるたびに高座へ上がり、東宝演芸場や三越落語名人会に出演した。1972年(昭和47年)10月18日、体調不良を訴え慶應病院で検査したところ胃癌が発覚。すでに肝臓や腰椎まで転移していた。入院からわずか1週間目の10月22日午後11時47分、5人の妻に囲まれて死去。享年72。没後、勲四等旭日小綬章を追贈された。


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エノケン・ロッパと並び昭和の三大喜劇人に数えられる柳家金語楼。林家三平が「爆笑王」として脚光を浴びる何年も前に、ユニークなキャラクターと軽妙な芸風でテレビ草創期の人気者となった元祖「爆笑王」である。自ら企画を持ち込み大成功となった『ジェスチャー』、徳川夢声と軽妙洒脱に世相を語った『こんにゃく問答』、宇宙服を着て紅白歌合戦の白組を応援する姿など、いつでもお茶の間に笑いをもたらしてくれる存在だった。特に『ジェスチャー』での表情の豊かさ、オーバーともいえる体を使った表現に何度となく笑わせてもらった。今や知る人も少なくなってしまった柳家金語楼の墓は、東京都品川区の本立寺にある。五輪塔の墓には「山下家」とあり、左横に墓誌が建つ。戒名は「金語楼笑里日敬居士」


by oku-taka | 2017-12-30 23:36 | コメディアン | Comments(0)