人気ブログランキング | 話題のタグを見る

吉行理恵(1939~2006)

吉行理恵(1939~2006)_f0368298_19211617.jpg

吉行 理恵(よしゆき りえ)

詩人・作家
1939年(昭和14年)~2006年(平成18年)


1939年(昭和14年)、作家の吉行エイスケ、美容家のあぐりの次女として東京府東京市麹町区(現在の東京都千代田区)に生まれる。本名は、吉行 理恵子。幼少期は、一日外に出て遊ぶほどのお転婆娘であったが、父や兄の影響を受けて早くから文筆活動に目覚める。女子学院中学校・高等学校、早稲田大学第二文学部と進学し、在学中には『ユリイカ』に詩を投稿するようになる。1963年(昭和38年)『青い部屋』で詩人としてデビュー。少ない語彙を何度も使った繊細さ漂う不思議な文章が話題を呼ぶ。1968年(昭和43年)、『夢の中で』で第8回田村俊子賞を受賞。1971年(昭和46年)、『まほうつかいのくしゃんねこ』で第9回野間児童文芸推奨作品賞を受賞。1981年(昭和56年)、初の小説となる『男嫌い』を発表。詩的散文を用いた独特のリズムが評価を得て、同年 『小さな貴婦人』にて第85回芥川賞を受賞。選考委員には兄・吉行淳之介がおり、兄妹での受賞は初ということで大きな話題となった。1989年(平成元年)、『黄色い猫』で第28回女流文学賞を受賞。その後も猫を題材とした作品を発表し続けたが、詩人としても作家としても寡作であった。また、母・兄・姉がメディアへの露出が多かったのに対し、理恵だけはあまり公の場には姿を見せず、三兄妹の中で唯一生涯独身を通した。2006年(平成18年)5月4日、甲状腺癌のため都内の病院で死去。享年66。


吉行理恵(1939~2006)_f0368298_14173672.jpg

吉行理恵(1939~2006)_f0368298_19254618.jpg

独特の世界観とミステリアスな私生活に包まれていた吉行理恵。時に鋭く、時に儚いその詩は初見だとなかなか理解しにくいものになっている。『針の穴』が第74回芥川賞の候補になったとき、多くの選考委員が評価を棄権した。評言を発表したした数少ない委員の一人・永井龍男の「散文としては断片的であり過ぎた」というコメントのように、彼女の作品は妙に難解っぽく感じてしまう。このとき、選考委員を務めた兄・吉行淳之介は「私は棄権した」との評言を残しているが、第85回芥川賞の際は「私の実妹なので、銓衡委員としての立居振舞に困惑した」と言いながらも一票を投じ、受賞に一役買っている。どういう心境の変化か知らないが、谷沢永一『本はこうして選ぶ買う』(東洋経済新報社 2004)によると、淳之介は選考日に誰よりも早く会場入りし、次々に訪れる選考委員に丹念に挨拶したという。そうした行為が実を結んだのか、史上初となる兄妹で芥川賞作家となった。これで一躍時の人となった吉行理恵は、2005年に再婚した母・あぐりの墓を建立すべく東京都港区の持法寺に土地を購入した。その1年後、初めて書いた小説『男嫌い』の主人公・北田冴と同じ66歳で世を去った。墓には「吉行家之墓」とあり、右横に墓誌が刻まれている。

by oku-taka | 2017-10-14 20:41 | 作家 | Comments(0)