人気ブログランキング | 話題のタグを見る

三代目・古今亭志ん朝(1938~2001)

三代目・古今亭志ん朝(1938~2001)_f0368298_22042429.jpg

三代目・古今亭志ん朝(ここんてい しんちょう)

落語家
1938年(昭和13年)~2001年(平成13年)


1938年(昭和13年)、五代目・古今亭志ん生の二男として東京都文京区本駒込に生まれる。本名は、美濃部 強次(みのべ きょうじ)。青年期は外交官を志望し、獨協高等学校でドイツ語を学んだが、大学受験に失敗。次に役者を志したが、父の志ん生から「歌舞伎役者は親が役者でないと上に行けないが噺家は扇子一本で偉くなれる。」と説得され、1957年(昭和32年)に入門。前座名は初代・古今亭朝太とした。1959年(昭和34年)、二つ目に昇進。1961年(昭和36年)、NHKドラマ『若い季節』にレギュラー出演。お茶の間でも広く知られる存在となり、テレビタレントとしても活躍するようになる。1962年(昭和37年)、志ん生に入門してから5年目という異例のスピードで真打に昇進し、3代目・古今亭志ん朝を襲名した。同年、東映映画『歌う明星・青春がいっぱい』で映画初出演。また、フジテレビ『サンデー志ん朝』の司会に抜擢。七代目・立川談志、五代目・三遊亭圓楽、五代目・春風亭柳朝と共に「落語若手四天王」と呼ばれ人気を博した。一方、落語においては、父・志ん生に近づく事は不可能と考えていたことから、八代目・桂文楽の演じ方を基調として噺を丹念に組み立てる方法で自らの芸を構築。後に、六代目・笑福亭松鶴に心酔して豪胆さを修学し、名実共に大看板として成長した。1972年(昭和47年)、芸術選奨文部大臣賞を受賞。1975年(昭和50年)には放送演芸大賞を受賞した。1978年(昭和53年)、真打大量昇進を巡って落語協会分裂騒動が勃発。志ん朝は敬愛する六代目・三遊亭圓生と行動を共にして落語協会脱退を表明。圓生は三遊落語協会の自らの跡目を志ん朝としたが、東京都内の落語定席の席亭たちは圓生の新団体に寄席出演を許可しなかった。志ん朝一人だけならば寄席に出ずに活動することは可能だが、自らの弟子を含む若手の落語家にとって寄席出演は芸を磨くために重要と考え、周囲の説得もあって脱退を撤回。この時「これからは芸を見てもらう、それしかありません」と決意表明をし、落語協会の会長だった五代目・柳家小さんは香盤を下げずに復帰を受け入れた。若手時代に将来の落語協会の大幹部候補として嘱望されていた志ん朝は、この一件で落語協会内部での発言力を大きく失い、組織内部の政治的な向きには距離を置いて高座に専念。テレビタレントの活動もセーブして本業の落語家としての活動に注力した。その結果、独演会のチケットはすぐに完売するほどの人気落語家に上り詰め、同業者からの評価も非常に高く、「東の志ん朝、西の枝雀」と称された。また、八代目・雷門助六が継承していた伝統芸「住吉踊り」を興行として復活させた。1980年(昭和55年)、ゴールデンアロー芸能賞を受賞。1996年(平成8年)、落語協会副会長に就任した。 私生活においては、父・兄同様に酒を愛し、それが祟って糖尿病を発症。長年にわたって時折入院加療していた。2001年(平成13年)、芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。同年7月、北海道での巡業中に風邪をひき、8月13日に都内の病院に入院。精密検査の結果、末期の肝臓癌であることが判明。23日、都内のがん研究会付属病院に転院する際、夫人から癌であることを告げられ、志ん朝は「あっ、そうか」と淡々と受け止めた。9月23日、病院から帰宅を勧められ、自宅に戻った。点滴も外し体力は日に日に弱くなったが、大好きな日本酒は楽しんだ。10月1日午前8時、容体が悪化し、家族・弟子に見守られる中、肝臓癌により新宿区矢来町の自宅にて死去。享年63。


三代目・古今亭志ん朝(1938~2001)_f0368298_19505088.jpg

三代目・古今亭志ん朝(1938~2001)_f0368298_22061328.jpg

亡くなるまで落語界の花形スターであり続けた三代目・古今亭志ん朝。高座にその姿を見せただけで華やかになり、あとはスピード感あふれる口調で客の心を一気に掴む。明るい芸風とリアルな人間描写で江戸の世界に誘う古典落語の第一人者であった。2001年10月1日夜、彼の訃報を各局はトップで報じ、私もその死を知って大きなショックを受けたことを今でも鮮明に覚えている。長生きしていれば、紫綬褒章を貰っていたであろう。人間国宝にも間違いなく選ばれていただろう。そして、六代目・古今亭志ん生を襲名した可能性もあったかも知れない。「粋」という言葉が最も似合う落語家・古今亭志ん朝の墓は、東京都文京区の還国寺にある。墓には「美濃部家之墓」とあり、左側に墓誌が建つ。戒名は「光風院楽誉観月志ん朝居士」


by oku-taka | 2017-09-15 22:52 | 演芸人 | Comments(0)